Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.4.9訂正
2000.4.1

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大塩の乱関係論文集目次

高安月郊「大塩平八郎」目次


「大 塩 平 八 郎」その3

高安 月郊(1868-1944)

金港堂書籍 1902 より



◇禁転載◇

第一段  其二 淀川

***
向に大阪城、上手に天満橋、下手に網島見ゆ。月明。中流に小舟一艘、中に頼山陽、大塩中斎、いづれも羽織着流し、大塩格之助袴ばかり、船尾(とも)に船頭控ゆ。
中斎かしましき世を暫は茲に離れて大川や、水の心は月のかげ、月の心は我心、太虚くもらす村雲を、払へば同じ生死の、外に動ける良知こそ、此川風ではござらぬか。
山陽 げに清風と明月の、主人が出す盃に、酔へばをかしや夜の様、醜き所押隠し、光るは星かともしびの、橋を過ぐるは人や行く。桜の宮は朧々と、東の山も稍(やゝ)薄し。時は違へど赤壁の蘇子が遊もかくやらん。
中斎彼に劣らぬまらうどゝ、一気に乗りて果知らず、いでや夜涛を聞くべきか。
山陽其黄楼の声よりも、誰が吹きすさぶ簫の音に、我孟徳のやまと歌、今に残れる大阪城。
格之一首伺ひたうござる。
山陽いや詩句よりも先立つは、猿面冠者の身の終。
中斎客には何を嘆かるゝ。
山陽さればあはれでござらぬか。赤手に竜を生捕つて、虎に惜まず肉分ち、繋ぐ天下も一時の、栄華は波と砕け散り、空しく残る石垣に、文字並べても何の詮。こりや誰が咎でござらうな。
中斎しかし彼も快人ぢや。四海を握つて私せず、得るに従ひ、散らすとは。
山陽散らすのみにて保たずば、明を得るとも足りはせじ。
中斎さればこそ家康が、跡を拾ふて徳川の、天下も今に三百年。
山陽盛りも茲に極りましたな。
中斎いや人より見れば長くとも、天より見れば春一夜、兎にも角にも情慾の、波瀾は夢かまぼろしか、是にもあらず、非にもあらず。
山陽足下はよろづ 内に見て、心を洗ふ洞の主、我は先づ外に見て、想ひめぐらす峰の客。
中斎異なる気質も知り知られ、名利を辞して我も今、淀の流れに書を読めば、
山陽鴨の流に筆洗ふ、技は違へど文と儒と、いとヾ相合ふ意気と意気。
中斎彼時 独り胸を指し、復出るなと戒めしは、天下に足下一人であつた。
中斎いや 君も図らず用ひられ、奸を挫き邪を除き、余りに剛に過ぎ足れば、折るゝを待たず退きて、また動かぬに若く事無し。
中斎誠に君の云はるゝ如く、心太虚に帰してより、学で時に教ゆるばかり、気を養へば胸安し。
山陽願はくばいつまでも互にかくてありたけれ。
中斎身は衰へて朽つるとも、心ばかりは残さんと、洗心洞箚記二巻、此程より着手致した。
山陽それは早く見たきもの、某も日本外史漸く過日脱稿致した。
中斎待ち兼ねし大著述、是非々々内見致したし。
山陽近日お送り申すでござらう。ア思ひ出せばこぞの秋、先師の杖を失ひし、憾 晴れしも君が蔭。
中斎人に許さぬ畢生の著述示すも我故か。
山陽今又茲に酌みかはす、智の盃は限無く、
中斎夜は深るとも時知らず、
山陽処は比無き大澱に、
中斎繋がぬ舟の面白さ、
山陽こりや十分に
二人      過しませうか、
格之あれあれ月に村雲が――
中斎いや曇らぬ心は澄み渡る、此清興に肴せよ。
山陽肴は何より此古城。
中斎いや城よりも尚長き、月と芦と四羽の雁。
山陽あの趙子壁の一軸を?
中斎献じませうか。
山陽いやこりや大酔を致したわい。
  歌聞ゆ
    夜桜や うかれがらすが まいまいと
      花の木蔭に 誰やら居るわいな。
格之こりやいとはしき絃歌の声。
中斎少しく舟に棹さして、遡らうではござらぬか。
山陽それも一興、然らば御主人。
中斎(格之助に)船頭に申し付けい。
格之ハツ、これ船頭少し上手へやつてくれい。
船頭かしこまりました。
  舟に棹している

此方より尾(屋?)形舟出づ。中に奉行門辺大和守、大米屋金右衛門、いづれも着流し、酒宴の躰、芸子仲居酌する船頭棹さす。>

大和好い気持になつてまゐつた。
金右どうぞ十分お過し下さりませ。それお酌
仲居ハ――イ
大和いやさう飲では此川へはまるかも知れぬわい。
芸一私共が居りまする。
芸二お手をお取り申します。
大和其方共が何の役、それよりは御主人ぢや。何と酔ふてもかまはぬかな。
金右かまはぬ段ではござりませぬ。百杯なりと千杯なりと、お酔ひなさるまでお進め申します。
大和それはかたじけない、然らば其気で飲むと致さう。先の跡を歌へ歌へ。
***  芸子歌ふ。
    とぼけさんすな芽吹柳が 風にもまれて居るわいな
大和ア月が出たか、舟が大分動く様ぢや。
金右それでは一寸附けませう。それ船頭。
船頭ヘイヘイ
  舟を下手の岸に附ける
金右(芸子等に)次手にそち等も上つて来い。少しお話がある程に
芸一そんなら旦那さん、
 二一寸行つて
二人     まゐります。
  二人を残して入る
金右さてお話しと申しまするは、此間の新田の事、どうぞ五千両でお払下は願へませぬか。
大和五千両――五千両とは安いものぢやが――そこはこれ此方の事、まゝよろしい承知致した。
金右それは難有う存じます。それからも一つお伺ひますは、近日の此不作、今歳も不順でござります故、秋が思ひやられます。若し飢饉にでもなりましたら、どうなされます思召で。
大和それは何とも云はれぬが、用意米は十分なり、出せば出せぬ事もなし、しかし江戸の模様もあり、市中の工合でそこはまた、思案をしまいものでもござらぬ。
金右そんなら一つ調べまして、改めて申して出ます何分よろしう此後とても。
大和呑込だ呑込だ兎角酒には肴ぢやて。
金右そこに、ぬかりは致しませぬ。これは明石の桜鯛、花は散つても残る実を、御賞翫下さりませ。
  金包を出す
大和(懐に入れ)実とは結構花に無用、これで一杯重ねやうか。
  芸子仲居船頭出て来る。
皆 もうおよろしうござりますか。
金右丁度好い、お酌ぢやお酌ぢや
仲居ハーイ
***  皆舟に乗る
金右また船を出してくれい。
船頭かしこまりました。
  中流に出す。上手より大塩の舟帰り来る。磨れ違う。月明。身投の音、
双方あの音は?
  皆顔を出す。互に見合す。
中斎やこれは!
  門辺障子を閉づ。
格之確にお奉行。
山陽エ?
  五郎兵衛流れ来る、大塩の舟に寄る、
中斎(引上げ)イヤ我等もこれは罪人ぢやわい。


高安月郊「大塩平八郎」目次その1(登場人物)/その2その4

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