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みの
時に天保四年より米穀登らず。加ふるに金銀疎悪なるがため、米価騰貴し、
かく がへう
貧民食を得ずして道に斃る。斯の如きもの三年。江戸市中に於てすら餓 道
に横はるに至り、窮民所在、相集つて乱を為す。其最も大なるものは武蔵に
発し、美濃に発し、甲斐に発し、上野に発し、下野に発し、浪遊生を為すも
の四方を徘徊し、却掠を業とす。諸侯代官、之と争うて事端を増さんことを
ことさ
恐れて、故らに之を避く。是より豪農亦禁を犯して剣を学び、以て自衛に備
へんとし、紀綱索然として振はず、窮民ならざる者も、幕政に飽きて人心変
を思ふ。時に大阪町奉行の与力大塩平八郎なるものあり。王陽明の学に通じ
て中斎と称す。剛果峻厳、最も治獄の才に長じ、奉行高井山城守実徳の重用
しばし
する所となりて、数ば大獄を断じて重名あり。已にして実徳老を以て官を解
くや、平八郎また之に従つて退き、諸生を集めて書を講ぜしが、居常怏々と
して志を得ず。幕府の紀綱索然として振はず、乱民四方に起り、人心恟々た
るを見て、自ら駿河の今川義元の支流と称し、其子格之助を元服せしめて、
とな
窃に今川弓太郎し称へしめ、蔵書万巻を売つて窮民を救ひ、且つ告ぐるに天
満天神両橋の辺に火災あらば、急に来るべきを以てし、銅砲木砲四個を作り、
天照大神・武王・徳川家康の旗を作り、政府の腐敗、官吏の私曲を数へ、下
民のために姦官を誅するの檄を四方に伝へて、天保八年二月十九日の夜、門
弟同心徒党数十人と共に火を放つて大阪を焼き、紛擾に乗じて事を起さんと
す。与党平山助次郎、志を変じて急を奉行に告ぐ。時に旧奉行跡部山城守良
とら
弼。職を新奉行堀伊賀守利堅に継がんとす。二人即ち先づ大塩の与党を執ふ。
平八郎之を聞き、十九日の早暁、自ら其家を焼きて、火を四方に放ち、天神
か
橋を落し、鴻池・三井以下の富豪を砲撃し、焼夷し、窮民を馳り、農夫を募
みち
り、勢に乗じて大阪城に向はんとし、途に逆撃せられて敗走し、平八郎以下
与党或は自殺し、或は焚死す。平八郎等初め退いて武庫郡甲山に拠り、天下
の動揺を待たんとして、事此に至らずして敗れしなり。
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弓太郎は
格之助の子
二月十九日の夜
後述の「早暁」
が正しい
大塩父子は
大阪油掛町
に隠れ自殺
幸田成友
『大塩平八郎』
その159
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