Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.1.6

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎の変」その1

竹越与三郎(1865-1950)

『日本経済史 第6巻』 日本経済史編纂会 1920 所収

◇禁転載◇

第十一章 家斉時代

  大塩平八郎の変(1)

管理人註
  

家斉は以上の如き乱雑なる統治を行うこと、五十年なりしが、千八百三十九 年(天保八)二月、彼の五十年間の失政に対する弾劾を試むるが如く、大阪 に民変ありたりき。是より先き、天保三年は、天候甚だ農作に可ならずして、 全国概して不作なりしが、四年には更に、凶作なるに加へて、金銀を改鋳し て、其質を粗悪にしたるがため、貨幣の価格減少したるを以て、米価の騰貴 異常となり、江戸市中に於てすら、饑民、道に横はるの惨状を来し、窮民処 々に団集し、富豪を襲ひしが、武蔵、美濃、甲斐、上野、下野に発したるも の最も重大にして、諸侯の力、之を圧する能はず、唯だ、窮民自ら疲労して、 退散したるに過ぎざりき、是より先、数年、一種の浪人を生じ、数人隊を組 みて、掠奪を事として、四方を転動するも、藩吏、代官之と争うて事端を醸 さんことを恐れて、之を避くること支那の総督、巡撫が、巨盗、流盗を恐れ て之を撃つを憚るが如し、而して此等浪士の他、また刀を携へたる盗賊、徘 徊すれども、捕吏また無能にして、之を捕斬する能はず、此に於てか、地方 の豪農等、已むを得ず禁令を犯して、剣客を招きて剣術を学び、之を其子弟 一族に伝へて、以て自衛の法を講ずるに至り、温厚の徒もまた天下幕政に飽 きて、人心変を希ふの兆を認めざる能はず。而して此等の浪士、盗賊は、最 も多く幕府の直轄せる関東諸国にありたりき。



千八百三十九年
千八百三十七年
1837が正しい


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