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秋田の人、生田道満は平田篤胤の門弟にして、越後の柏崎にありしが、大塩
の事を聞きて手を打つて快と称し、八年六月、神道の門人を集めて、『奉
天命 誅 国賊 』の旗を掲げて、富豪を襲撃し、米穀を奪うて之を貧民に分
与し、遂に党与と貧民と三千余人を率ゐて、柏崎の陣屋を襲ふに至りしも、
また空しく闘死したりき。此の如く民変は、一も成功せず、其発起者の死は
犬死の如くなりき。然れども是れ天下幕政に飽きて、人心を思ふの兆にして、
貨幣の劣悪より来る物価の騰貴、凶作より来る米価の騰貴窮民の飢餓等の原
因より民乱を生じたる一事は、幕府が経済上に於て後来、倒れざるべからざ
る運命を含みたるを予告したる、陳勝呉広にも比すべきものなりき。
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陳勝呉広の乱
秦末の農民、陳勝
と呉広の起した反
乱、
陳勝呉広は
秦に対する反乱の
兵を最初に起こし
た人であるところ
から、物事のさき
がけをすること
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