Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.6.19

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「大塩の乱関係論文集」目次


『綜合明治維新史 第1巻』(抄)

その1

田中惣五郎(1894〜1961)

千倉書房 1942

◇禁転載◇

第二章 大阪を中心に
 第七節 都市小民の動揺
  都市の頽廃と困窮(1)
管理人註
   

「世事見聞録」は文化の末年の都会を次の如く描いて居る。   「扨又百姓の内に有徳人一人あれば其傍に困窮の者二十人も三十人も   あるが如く、町家も矢張り困窮人多きものなり。前にいふ如く、国に   より或は困窮に余り、又は若ものの身の放埒より出で、又は繁花の有   福にうかれて出来り、追々に寄集りて都会に溢れて困窮人と成りしも   のなり。尤も国々在々にては、困窮余れば夫限り行詰りて外に凌方な   し。繁花の地は種々の所業有て、其日過にも渡世致し安く、殊に田舎   と違ひ義理耻のなき世界にて凌ぎ安く、仮令悪事を成し、盗をなすと   もなし安き事ゆゑ、斯の如く寄り集りたるなり。此上にも国々にて渡   世に尽たるもの出来て、いやが上に押込み、人数多く成り。人数多く   成るに随ひ弥増困窮人多く、渡世六ケ敷なりて、悪行盛んに成行べし。   都会にて渡世尽きたる者は再び国々へ帰るべき便りなければ、悪逆を   なすの外なし。」  と、困窮した人が江戸に出て更に困憊することをのべ、職業につく困難 さを、   「当時は新規の商売を始る事自由ならず、其近辺に同商売の者ある時   は、其者より差障りを申て新規の店を構ふなり。若し拒み候時は公辺   へ訴るなり。公辺の取揃も新規のものを構らるゝものなり。元来問屋   仲買などの仲間の定り来りしを、其仲間に入らずして一人立て売買を   始るは、格外の事なれば構らるるも尤の事なり。併し是を以て天下の   大道より見る時は甚だ狭き法にて、偏固なる掟なり。右体偏固なるの   み有によつて、問屋仲買共勝手儘の相場を定め、締め買にするなり。   若し右の問屋仲買の外にて脇より買ふ時は、是亦公辺の御沙汰になり   て咎めらるゝなり。」依て飯米、炭、薪、油其外日用の諸品、国々が   下直なる迚、私に買ふ事叶はず、売る事ならぬなり。」  それが今では問屋のない商売までも、人数が多いために妨げられて店を 出すことが出来ず、拠ろなく新規の職を求めようとして、   「何か時世に相応したる事を目論みて人を誑し、或は人の公事を買取   て負る公事に勝ち、或は人の腰押、仲直り等取持て金銀を隠しとり、   又は普請其外の請負をなし、又は立難き筋のことは弁へながら公辺へ   願ひ出で、今も願の通り成就いたすべき容体に見せて金持ちを引出し、   又諸品物を拵へて人を欺き、惣て身を労せずして世渡るもの多く有り。」

腰押
(こしおし)
他人に力を
添えること







『綜合明治維新史 第1巻』(抄)目次/その2

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