Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.6.20

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「大塩の乱関係論文集」目次


『綜合明治維新史 第1巻』(抄)

その2

田中惣五郎(1894〜1961)

千倉書房 1942

◇禁転載◇

  都市の頽廃と困窮(2)管理人註
   

 この狡猾な人々にたぶらかされた都市の貧民は、一層惨めな生活に顛落 し、   「又右体智恵才覚なく、律義者、片意地者、愚鈍ものは右の如く困窮   人となり、粉骨砕身して漸く其日を過し明日の手当なく、或は老父母    わづらひ  しか   の煩にも爾と薬も与へかね、又は親の長病に倦み、病死を愁ふべきを   却て喜ぶ事と成り、若又火災に逢か、又は長湿気、長煩ひ等にて足手   限の稼ぎ出来兼、日数三十日も渡世を仕損ずる時は忽ち行詰りて法に   触れたる事を仕出すなり。其所業、或は親妻子を捨て置去り抔致し、   或は道辻へ乳呑子を捨、又は乳もなきに貰ひ子を致して持参金を取り、   又は子を貰ひて殺し、或は又親の病死といへ共其(欠字)き事を成し、   其上盗かたりを成し、又は附火などして数千数万の家を焼き、世に騒   動を起し、大勢に難儀をかけ、公儀の御厄介と成り、御失費をも懸け、   其身も御咎になり、跡に残る親妻子も散々に成行なり。」  この動揺と頽廃の都市を基底にして居たために、維新運動が促進された ことは少しとしないであらう。この基底の上に各藩の江戸邸生活が行はれ て居り、旗本の生活が営まれて居たのである。だから都市の打毀しには既 に見る如く、決定的な首謀者を発見しえない。巧みに煽動し、巧みに狼藉 を働き、巧みに身を隠して難を転嫁する都会人士に、責任を負ふ首魁者の 現れようはずはない。其点農村の如く徹底的に行かぬ所以であり、それだ けに不安と動揺がどこに潜むかを発見しえず、あるといへばどこにもあり、 無いといへば皆目無いと思はれる遍満性を帯びて来る。しかもこれを取締 るべき当局は、   「既に天明の凶事に、御廓内にて乱妨狼藉及び打壊等の事起れり。そ   の天明の頃よりも、今は都会の人数多くなり、困窮人も多くなり、人   の悪心も倍増せり。其上下賤は剛強になり、是を制すべき武士は柔弱   になりければ、中々天明度の例にて参りがたかるべきか。尤も悪心増   長せし事故、相互に計り合て、容易に起るまじきが、もし起りたる時   はをさまり難かるべし。今下賤等の悪智の盛んなる容体にては、必ず   火を用ひ剣槍を用ゆべくも計り難し。」  この漠然たる社会不安は、堂々たる旗鼓を樹てゝ進む反幕軍の勢ひにも 比すべきものであり、身中の虫であるだけに、その悩みは深いものがあつ たのである。これは維新の騒乱の進むにつれて漸次表面化して来たことは、 後に記することにする。とまれ天明から三十年の後においてすでに此変化 を見、それが加速度的に度を加へることも充分に想見しうる。特殊な大塩 の乱と、一般的な打毀しを取上げてみる。













足手限
(あしてかぎり)
足と手とが動く
限り
 


『綜合明治維新史 第1巻』(抄)目次/その1/その3

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