この暴動によつて知られることは、これが飢饉のために食へぬまゝに止
むを得ず発生した自然的なものであることは、暴徒の対象が、主として米
穀商に注がれたことによつて知られる。しかし千住の伊勢屋を特に「打毀
し」の例外に置いたところに見て、この豪商と一般市民との間の平生の感
情が察せられ、決して激情的なものでなかつたことが確かであらう。それ
にしても、わづか三日にして屏息しはじめたことは、五十人の暴徒の中に
何らの結束も聯関もなく、その打毀し方法も漸次強盗的なものに変つて、
一般市民の反感を買ふにいたつた為であらう。それにしても、この必然的
な暴発に対して、将軍のお膝元の江戸がこれを未発に抑止しえず、起つた
後も百余万の大都市江戸の吏が五千の暴徒を鎮圧しえず、為すに任せ、結
局市民の自制と、救助米の下附によつて事態を収めえたことに見て、天明
度の幕府の検察的無力さが察せられる。大塩の乱と好箇の取組である。そ
していはゆる豪商といふものの社会的地位と、一般市民との関係等も、こ
の一事の中に読みとることが出来るであらう。
なほ、この打毀しの特徴は、容易に他の地方に伝播しうることであつて、
商路を通じて一気に全国的に波及するためであり、地方に土着して、部分
的に蜂起する農民一揆とは、この点に多くの相違を生ずるのである。
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