Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.6.30

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「天保餞饉奥羽武蔵聞書」

その1

『近世地方経済史料 6』小野武雄編 吉川弘文館 1958 より


◇禁転載◇

  仙台八分違作

貯穀多故先百姓に餓死なし、其上片倉氏救石之米穀を出し施し、其外荘園の小家へも少しつゝ手当有之由。

   上杉

善悪の評判無之、上下至て堅固、奥羽壱番と評判。

   南部

平年かてを食し、米穀収納は上え上る物と心得る圀放、百姓平年の如く離散餓なし。

   松前

売買の米なき故に諸家え頼と雖も、断故至て困窮の由。

   津軽

貯之れなき故百姓より家中に至るまで松の皮ばかり食る由、食尽ん事を悲む、離散数万人、所々の出口にて留候へども山越に逃出候由、餓死夥敷是は先年餞饉の時国に止る者は餓死、離散の者は死を免れたる故なるべし。

   庄内

累年貯多き故民不餓不寒随分堅固の由、其上領内に本間左内と申す者出羽第一の物持有之、毎日粥を煮て数万人え施し候由.又奥羽二州の大小名え米穀数多出し用立候由。

   山形

上富下餓す、家中の取計にて城下の領分の物持え用金数多被申付、取立、大坂より米穀を積下し無施却て家中の者え高直に売渡し候由。

   佐竹

大家にては候得共当年の手当之れなきにや、百姓共は不申、家中の食事も無之由、餓死多し。

   亀田 八分位の違作

至て困窮、然れども先づかなりに取続候由。

   白川 八分位之違作

頻に国替を悔、後悔先に不立餓死ある由。

   織田

右同断、山形大弐を恨由、後悔同じ。

   □□(欠)

領内饑饉に付帰国を願ひ入圀の節、道中持筒も減じ少々の人数にて下り候節、旗宿等幕ばかりにて無堤燈の由、其上領分巡見の節は従者十人ばかりにて野装束頭巾にて、百姓と同じく蕨の根、芋の乾葉ならの実の餅などを食ひ、國民を助候由、百姓之を信じ誠に大守のケ様の振舞難有事なりと落涙して尊び候由、其外重代の武器を転じ米穀の手当を致し困窮を救ふ、又船頭に物持あり三百金を献じ、我身は船乗の事何国の浦にて死す共不悔、大守様大切なりと頻に難有がり領分同じ。

   生駒

手当を致し百姓を離散させざる由。

   二本松

平年貯多き故、城守の下知にて米壱升に付百拾文より高値に不致、其上神事祭礼手厚に致し候。

  会津

違作に付上州より麦を山越に買取候得共、離散多しとかや。

  那須郡

至て困窮由。

  村上郡 九分位の違作

支配御代官より取計にて同国富家本間左内と申す者より二千俵借請け、越後より二千俵借受け、右之米壱人に付日々壱合づゝの積り極月まで取続き、但しかては、ならの実の餅、蕨の根、芋の乾葉を取り、諸樹の根、松の皮、柿の葉、土を制し食する由、依之餓死なし。


「天保餞饉奥羽武蔵聞書」目次/その2

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