Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.12.16

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「洗心洞通信 35」

大塩研究 第47号』2002.9 より

◇禁転載◇


◇大塩中斎忌法要・講演と研究会総会

 二〇〇二年三月二三目午後一時三〇分から成正寺本堂において、同寺主催の大塩父子及関係殉難者怨親平等慰霊法要が有光友信住職によって営まれ、本堂前の記念碑、本堂裏の大塩家墓所に展墓した。

 その後本会主催の講演が行われ、副会長の向江強氏が「檄文をどう読むか」と題して講演した。要旨は本号に掲載されているので参照されたい。

 小憩のあと、総会が開かれた。酒井一会長挨拶の後、井形正寿副会長から会務報告があり、例会を六月に猪飼野、九月に八尾、一〇月に長谷寺、一一月に大和郡山を訪ねたこと(会誌四五号「洗心洞通信」参照)、会誌を予定通り四四号、四五号発刊したこどなどが報告された。また、「天満と大塩平八郎展」が三月二日〜三日開催され、多数の参観者があったこと、三日午後開催されたトークには遠来の方々を含め会場一杯の盛況であったことなどが報告された。詳細は本詰第四六号「天満と大塩平八郎展」特集号をご覧いただきたい。

 続いて新年度の企画について向江副会長から、四月に大蓮・衣摺〈東大阪)、六月に淡路島で大阪民衆史研究会、淡路地方史研究会と共催で、秋には奈 良・法隆寺付近の見学を実施するほか、来年が大塩生誕二一○年になるところから、天満でイベントを企画する。また会誌についても年二回発刊を守りたいなどの報告があった。会計報告に移り久保在久委員が、会誌四五号掲載の報告書をもとに報告、二月九日相蘇一弘・政埜隆雄会計監査委員が監査を執行し、政埜隆雄委員から、適正に執行されている旨の報告がなされ拍手で承認された。

 本年は委員改選時期ではないが、大塩二郎委員から辞任の申し出があったのでこれを承認し、後任に大野尚一氏が就任した。

 なおNHK「その時歴史が動いた」に出演された相蘇一弘氏から、放映に至る経過などが報告され、東京から出席された古屋成正(松原誠)氏からは、 近日刊行されるご著書について、取材の苦心談などのお話がなされた。

 当日の参加者は

   【略】

計三七名

◇衣摺・大蓮を訪ねる

 〇二年四月二一日実施された。本会会員の政野敦子氏が「子孫が語る大塩の乱−衣摺・大蓮村」と題して講演された。講演内容は本誌に掲載されているので参照されたい。

 講演の後、荻田昭次氏〈本会会員)の案内で、講演会場の大念寺観音堂をスタートし、大蓮白山神社、中将姫碑、大蓮寺跡、十福地蔵、百間堤跡、衣摺政野圭一氏邸、衣摺の道しるベ、光泉寺・衣摺顕彰碑、衣摺神社跡、吉松新田会所跡、法明上人墓などでそれぞれ懇切な説明を受け、近鉄長瀬駅で解散した。

 当日の参加者は

   【略】

計四六名

◇門真市立歴史資料館の講演

 ○二年六月三○日まで「茨田郡士が駆ける大塩平八郎の乱」と題する特別企画展が標記資料館で開催されたが、六月二日同館で本会会長の酒井一氏が「天下を撃った大塩平八郎と東摂・北河内地域」と題して、飢饉窮民論を超えて、地域のかかえた社会構造、幕政(雑喉場魚市場一件、油方仕法改正など)との関連をふまえて政治的意味を問う形で講演された。

 続いて本会会員の和久田薫氏が、茨田郡士の妻・のぶは、八代和久田与治兵衛の二女で、天保六年二四歳で嫁したことなど、同家と茨田家の姻戚関係を系図や写真を示して説明された。

 参加者は門真市民を中心に八〇名に達し、本会会員の顔も多数見られた。

◇淡路島の集会

 〇二年六月二三日淡路地方史研究会、大阪民衆史研究会と本会の三団体共催のもと、洲本市の淡路文化史料館で開かれた。

 冒頭に淡路地方史研究会会長の武田信一氏から歓迎とお礼の挨拶があり、続いて木津力松氏(大阪民衆史研究会員、農民運動研究家)が、「淡路の農民運動の指導者長尾有の歴史的評価について」と題して講演された。

 次いで本会会長の酒井一氏が、「乱・一揆・民権〜大阪と淡路から考える」と題して、大要次の通り報告された。

 淡路地方は、四国の影響を受けて自由民権運動の盛んな土地で、島田邦二郎の憲法構想は今日全国的にも注目されている。一方、平和憲法をめぐるきびしい情勢が展開しはじめており、このことを踏まえて現代的な民衆運動のあり方を問う形で、淡路をフィールドに、縄騒動・大塩への関心と乱直後の見聞・反応などをとりあげ、これら一連の動きがそれぞれの成果をそこからの飛躍をみせて民権に流れ込み、民権の成果が今日の憲法の底流にあることを語った。

 最後に大阪民衆史研究会長であり、本会副会長の向江強氏から挨拶を受けた。当日の参加者は七十名(うち島外から二十二名)を数え、盛会のうちに終了した。

 終了後有志による懇親会が、三原町八木の島田耕氏(本会及び大阪民衆史研究会の運営委員)の実家で開催され、八名が参加した。

◇江川文庫の総合調査

 東京都在住の会員・小西利子氏から『伊豆新聞』(02.6.18)に、次の記事が掲載されていることをご教示いただいた。大塩関係の史料発掘が期待さ れます。

   【略】*1

◇皇居不浄門に大塩文庫?

 『日本古書通信』第八七一号(〇二年二月号)の「吉本屋の手帖」の欄に、「大塩の乱」と題してYさんの興味深い文書がある。ここに転載して大塩史 料をめぐる関心をよび起こしたい。

  【略】

◇会員の訃報

 謹んでお悔やみを申し上げ、生前の本会へのご協力に感謝いたします。

山崎宗太郎さん
 戦前の社会大衆党員で、敬虔なクリスチャンとしても知られる。一九一三年五月一九日京都府与謝郡市場村〈現野田川町)生まれ。〇二年一月一二日逝去、享年八九。本会へは発足後間もなくの七六年五月二二日入会され、折々の行事に熱心に参加された。
 戦前の大阪労働学校の記録にもその名があり、〇一年の長谷寺を訪ねる例会にも元気な姿をみせられた。「一身の温飽天に愧ず」という大塩の生き方に深い関心を寄せられていた。
 本誌第一七号(八四年三月)に「大塩と私」が掲載されており、同氏のご経歴や大塩との関わりなどが詳しく語られている。

◇寄付の御礼

   【略】

◇訂正

 本誌第四五号所収の酒井一「大塩の乱と猪飼野」のうち、四三ページ上段一八行目の「十八代尚敏」を「十七代」に訂正します。地元の足代健二郎氏のご教示をを得ました(酒井)


管理人註
*1 奈良新聞(2002.1.15)に「幕末の改革派に光 「江川文庫」初の総合調査へ」の見出しのものがある。日本経済新聞2002.1.9にも同様の記事がある。


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