Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.3.3

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「洗心洞通信 36」

大塩研究 第48号』2003.2 より

◇禁転載◇


◇東海道守口宿を訪ねる

 〇二年一〇月六目守口市市民会館で実施された。 塩崎純之助氏(元守口市長室長、宿場町年寄家)か ら「守口の今昔」と題して、古代から現代に至るこ の地域の歴史と、関連ある著名人について紹介され た。

 続いて、酒井一氏(本会会長、三重大学名誉教授) が、「白井孝右衛門・守口宿・乱」と題して、大塩 を多面的に支えた孝右衛門の人物像を、豊富な資料 をもとに明らかにされ、その資質、資力、人格から みて大塩の最大のオルガナイザーであり、かつ「資金 の大黒柱」であると述べられた。

 白井家と姻戚関係にあった政野家の末裔敦子氏か らは、運命的な白井家での位牌の発見に至った経過 が報告された。

 白井家の末裔の白井孝彦氏の挨拶の後、現地見学 に移り、塩崎氏の案内で京街道の面影をとどめる文 禄堤、奈良・野崎道分岐を経て、白井孝彦氏邸で同 氏と政野氏による展示〈孝右衛門の位牌、林文坡筆 「富嶽図」大塩平八郎賛、大塩平八郎三行書、檄文・ 連判書・陣立図写、結婚目録、譲り状・屋敷田畑建 家証文之事、書状、転社の写真)を見学、難宗寺(西 御坊)を経て、盛泉寺(東御坊)に至り、酒井一氏 の解説で同寺所蔵の新史料の内山彦次郎宛大塩平八 郎書状(文政十二年)の解説を受けた。旧東海道に 戻り、一里塚跡で解散した。 当日の参加者は

   【略】

 計五四名

◇玉造同心屋敷跡とその界隈を訪ねる

 〇二年一一月一〇日に実施された。ホテルアウィ ーナ大阪で志村清氏(本会会員、城郭研究者)が、 「玉造同心屋敷とその界隈」と題して、綿密な調査 に基づく図面をもとに、本日の見学コースの概略説 明を行った。続いて井形正寿氏(本会副会長)が、 「秋篠昭足と大塩生存説」と題して、ご自身が『大 塩研究』第二七号(89.11)に発表された「秋篠昭 足の迫跡−大塩平八郎天草逃避説を洗う−」をもと に、現在までの迫跡調査結果を明らかにしながら、 未だ未解明の点が多く今後の課題であるとされた。

 午後三時から見学に移り、龍淵寺(秋篠昭足と頼 山陽ゆかりの基)、全慶院(門人佐々木春夫の墓)、 楞巌寺(織田作之助・山村愛の墓)、円珠庵(鎌八 幡)、清水谷公園(大阪城空掘跡)、ひかりのくに 社屋(同)を経て空堀商店街に至り、坂本鉉之助屋 敷跡、鉄砲同心屋敷とその界隈(牧田家)、破損奉 行同心屋敷跡で志村氏の懇切な解説を聞き、最後に 戦前の木造家屋の残る町を再生した瓦屋町の「惣」 を訪ねて散会した。

当目の出席者は

   【略】

 計二五名

◇小野市好古館と堀井儀三郎碑を訪ねる

 〇二年一一月一六日実施された。神戸電鉄小野駅 集合の後、市立好古館に向かい、平成一四年度秋季 特別展「怒れる群衆−天保四年の加古川筋一揆」を 同館学芸員粕谷修一氏の解説で見学した。

 大塩関係では「大坂出火騒動并大塩平八郎謀反一 味徒党之一件」(三枝家文書、同館蔵)、「大坂東町 奉行所大塩平八郎一件調書」(兵庫県立歴史博物館 蔵)が展示され、「加古川筋一揆が大塩が乱を起こ す背景の一因となった可能性な十分考えられる」と の解説が付されていた。

 見学後本会会長酒井一氏(三重大学名誉教授)か ら、天保四年九月の加古川筋一揆、天保七年の東播 地方(土井大炊頭家老鷹見泉石日記)、大塩の乱と 堀井儀三郎の逃亡、河合西村の堀井家などについて 解説が行われた。

 続いて粕谷氏ほか地元からの二人の参加者のご厚 意でマイカーに分乗して現地見学に行き、一八八〇 (明治一三)年建立の堀井儀三郎招魂碑、堀井陽彦 家、さらに儀三郎墓碑を訪ね、小野駅で解散した。  当日の歩加者は

   【略】

 一一名

◇日本社会文学会秋季大会

 〇二年一〇月一九日〜二〇日和歌山県の高野山大 学で開かれた。作家の津本陽氏ら一六氏の講演があ り、当研究会員を含む約八○名が参加した。

 「近代文学と熊野−佐藤春夫と中上健次、そして 「大逆事件」」と題して講演された辻本雄一氏(和 歌山県立田辺高校教頭)は、佐藤春夫の文学に「大 逆事件」の残像を窺えるとしつつ、『砧(田舎のた より)』(一九二五年「改造」発表、『定本佐藤春夫 全集』第五巻所収)を紹介し、春夫の曾祖父椿山は、 大塩の門人湯川麑洞の友人であったことから、乱の 後厳しい取り調べを受け、「すつかり懲りて」「そ れ以来といふものは椿山は自重して天下の事は言は なくなったのです」などの記述があり、これを息子 鏡村への遺言としたことなどを明らかにされた。

◇「日本幼児の心を育てる余」研修会

 〇三年一月二六日標記の会(代表、小山展生氏) の「温故知新」研修会が大阪・難波サウスタワーホ テルで開かれ、本会から向江強副会長が招かれて、 「陽明学と大塩平八郎」の題で講演した。参加者は 三〇数名であった。

 講演内容は、朱子学と陽明学との違いを性即理と 心即理、大学における格物致知等について解説。特 に大塩の決起との関連で知行合一・天地万物一体の 仁について触れ、大塩の学問の特徴と檄文の思想、 大塩の乱の歴史的意義などについて述べられた。参 加者からは、全く新しい大塩像に触れることが出来 たなど好評であった。

 研究会編の『大塩平八郎を解く−25話−』、「檄 文」など多数が購売され関心の高さがうかがわれた。

◇松原城『天討』−小説大塩平八郎の乱− 発刊

 本会賛助会員の古屋成正(ペンネーム松原誠)氏 が、標記書き下ろし長編歴史小説を発刊された。同 氏は発刊の動機を「乱が鎮定された後逃亡していた 大塩父子が、匿ってもらっていた美吉屋という商家 に火を放って焼身自殺を遂げたやり方に疑問を持っ た」「率直に言えば〃世話〈迷惑というべき)〃を かけた商家と主人一家を、道連れにすることまで正 義といえるのだろうか、もっと別の手段があったの ではないかという素朴な疑念である。反逆者の正義 とノブレス・オブリージェの相克をテーマに、いわ ば私が私自身に向かって書いたともいえる「答案」 が、この作品なのである」と「あとがき」に記され ている。

 筆者は、五年前に「天命を奉じ天討致し候」で第 二二回歴史文学貴(新人物往来社)に入賞して おられ、その授賞式で「大塩平八郎のような革命者 はとても短編小説で描ききれるものではないよ。是 非長編小説に取り組みなさい」との激励を受け、こ の言葉に奮い立ってついに本書の完成にこぎ着けら れた。

 本誌創刊号からの各号や本会の刊行した文献その 他多くの資料を縦横に駆使され、「大坂東町奉行 所」、「洗心洞」、「飢饉と米価」、「人間模様」、「蜂 起」、「苛烈」の順に章を追って物語は展開する。 筆者が冒頭に掲げた疑問の解明は本書に譲るので、 会員各位の一読を是非お勧めする次第である。〇二 年一一月一〇日刊、新人物往来社。本体価格一九〇 〇円。

◇訃報

 謹んでお悔やみ申し上げ、生前の本会へのご協力 に感謝いたします。

湯川和夫〈ゆかわやすお)さん
 〇二年九月一九日神奈川県藤沢市内の病院で死 去。八七歳。二松学舎大助教授、中央労働学園大助 教授、法政大教授を経て、同大名誉教授。本誌第六 号(七八年一〇月)に「麑洞とわたくし」と題して 寄稿されたのを機に本会に入会。健康を損なわれる まで会に協力された。

野市勇喜雄〈のいちゆきお)さん
 〇二年一一月二三日死去。本会へは九一年四月入 会され、「大塩の乱関係資料を読む会」に参加、「塩 逆述」の釈文を作製された。滋賀県安曇川町の小川 家文書の調査に当たられ、尼崎市立地域研究史料館 の活動にも協力された。

◇寄付の御礼

   【略】

◇「大塩の乱関係資料を読む会」について

 八九年六月以来、十有余年にわたり成正寺様、講 師の先生、事務局の皆様のご努力で、営々と続けて 参りました。このたび成正寺様の本堂改修工事のた め、一時休会の予定でしたが、ご参加の皆様の強い 要望もあり、四月から会の直属研究部会として大阪 府教育会館(天王寺区)で再発足いたします。

 会員の皆様には、改めて別途ご案内申し上げます ので、これを機にふるってご参加下さいますようお 願いいたします。


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