◇禁転載◇
◇東海道守口宿を訪ねる
〇二年一〇月六目守口市市民会館で実施された。
塩崎純之助氏(元守口市長室長、宿場町年寄家)か
ら「守口の今昔」と題して、古代から現代に至るこ
の地域の歴史と、関連ある著名人について紹介され
た。
続いて、酒井一氏(本会会長、三重大学名誉教授)
が、「白井孝右衛門・守口宿・乱」と題して、大塩
を多面的に支えた孝右衛門の人物像を、豊富な資料
をもとに明らかにされ、その資質、資力、人格から
みて大塩の最大のオルガナイザーであり、かつ「資金
の大黒柱」であると述べられた。
白井家と姻戚関係にあった政野家の末裔敦子氏か
らは、運命的な白井家での位牌の発見に至った経過
が報告された。
白井家の末裔の白井孝彦氏の挨拶の後、現地見学
に移り、塩崎氏の案内で京街道の面影をとどめる文
禄堤、奈良・野崎道分岐を経て、白井孝彦氏邸で同
氏と政野氏による展示〈孝右衛門の位牌、林文坡筆
「富嶽図」大塩平八郎賛、大塩平八郎三行書、檄文・
連判書・陣立図写、結婚目録、譲り状・屋敷田畑建
家証文之事、書状、転社の写真)を見学、難宗寺(西
御坊)を経て、盛泉寺(東御坊)に至り、酒井一氏
の解説で同寺所蔵の新史料の内山彦次郎宛大塩平八
郎書状(文政十二年)の解説を受けた。旧東海道に
戻り、一里塚跡で解散した。
当日の参加者は
【略】
計五四名
◇玉造同心屋敷跡とその界隈を訪ねる
〇二年一一月一〇日に実施された。ホテルアウィ
ーナ大阪で志村清氏(本会会員、城郭研究者)が、
「玉造同心屋敷とその界隈」と題して、綿密な調査
に基づく図面をもとに、本日の見学コースの概略説
明を行った。続いて井形正寿氏(本会副会長)が、
「秋篠昭足と大塩生存説」と題して、ご自身が『大
塩研究』第二七号(89.11)に発表された「秋篠昭
足の迫跡−大塩平八郎天草逃避説を洗う−」をもと
に、現在までの迫跡調査結果を明らかにしながら、
未だ未解明の点が多く今後の課題であるとされた。
午後三時から見学に移り、龍淵寺(秋篠昭足と頼
山陽ゆかりの基)、全慶院(門人佐々木春夫の墓)、
楞巌寺(織田作之助・山村愛の墓)、円珠庵(鎌八
幡)、清水谷公園(大阪城空掘跡)、ひかりのくに
社屋(同)を経て空堀商店街に至り、坂本鉉之助屋
敷跡、鉄砲同心屋敷とその界隈(牧田家)、破損奉
行同心屋敷跡で志村氏の懇切な解説を聞き、最後に
戦前の木造家屋の残る町を再生した瓦屋町の「惣」
を訪ねて散会した。
当目の出席者は
【略】
計二五名
◇小野市好古館と堀井儀三郎碑を訪ねる
〇二年一一月一六日実施された。神戸電鉄小野駅
集合の後、市立好古館に向かい、平成一四年度秋季
特別展「怒れる群衆−天保四年の加古川筋一揆」を
同館学芸員粕谷修一氏の解説で見学した。
大塩関係では「大坂出火騒動并大塩平八郎謀反一
味徒党之一件」(三枝家文書、同館蔵)、「大坂東町
奉行所大塩平八郎一件調書」(兵庫県立歴史博物館
蔵)が展示され、「加古川筋一揆が大塩が乱を起こ
す背景の一因となった可能性な十分考えられる」と
の解説が付されていた。
見学後本会会長酒井一氏(三重大学名誉教授)か
ら、天保四年九月の加古川筋一揆、天保七年の東播
地方(土井大炊頭家老鷹見泉石日記)、大塩の乱と
堀井儀三郎の逃亡、河合西村の堀井家などについて
解説が行われた。
続いて粕谷氏ほか地元からの二人の参加者のご厚
意でマイカーに分乗して現地見学に行き、一八八〇
(明治一三)年建立の堀井儀三郎招魂碑、堀井陽彦
家、さらに儀三郎墓碑を訪ね、小野駅で解散した。
当日の歩加者は
【略】
一一名
◇日本社会文学会秋季大会
〇二年一〇月一九日〜二〇日和歌山県の高野山大
学で開かれた。作家の津本陽氏ら一六氏の講演があ
り、当研究会員を含む約八○名が参加した。
「近代文学と熊野−佐藤春夫と中上健次、そして
「大逆事件」」と題して講演された辻本雄一氏(和
歌山県立田辺高校教頭)は、佐藤春夫の文学に「大
逆事件」の残像を窺えるとしつつ、『砧(田舎のた
より)』(一九二五年「改造」発表、『定本佐藤春夫
全集』第五巻所収)を紹介し、春夫の曾祖父椿山は、
大塩の門人湯川麑洞の友人であったことから、乱の
後厳しい取り調べを受け、「すつかり懲りて」「そ
れ以来といふものは椿山は自重して天下の事は言は
なくなったのです」などの記述があり、これを息子
鏡村への遺言としたことなどを明らかにされた。
◇「日本幼児の心を育てる余」研修会
〇三年一月二六日標記の会(代表、小山展生氏)
の「温故知新」研修会が大阪・難波サウスタワーホ
テルで開かれ、本会から向江強副会長が招かれて、
「陽明学と大塩平八郎」の題で講演した。参加者は
三〇数名であった。
講演内容は、朱子学と陽明学との違いを性即理と
心即理、大学における格物致知等について解説。特
に大塩の決起との関連で知行合一・天地万物一体の
仁について触れ、大塩の学問の特徴と檄文の思想、
大塩の乱の歴史的意義などについて述べられた。参
加者からは、全く新しい大塩像に触れることが出来
たなど好評であった。
研究会編の『大塩平八郎を解く−25話−』、「檄
文」など多数が購売され関心の高さがうかがわれた。
◇松原城『天討』−小説大塩平八郎の乱− 発刊
本会賛助会員の古屋成正(ペンネーム松原誠)氏
が、標記書き下ろし長編歴史小説を発刊された。同
氏は発刊の動機を「乱が鎮定された後逃亡していた
大塩父子が、匿ってもらっていた美吉屋という商家
に火を放って焼身自殺を遂げたやり方に疑問を持っ
た」「率直に言えば〃世話〈迷惑というべき)〃を
かけた商家と主人一家を、道連れにすることまで正
義といえるのだろうか、もっと別の手段があったの
ではないかという素朴な疑念である。反逆者の正義
とノブレス・オブリージェの相克をテーマに、いわ
ば私が私自身に向かって書いたともいえる「答案」
が、この作品なのである」と「あとがき」に記され
ている。
筆者は、五年前に「天命を奉じ天討致し候」で第
二二回歴史文学貴(新人物往来社)に入賞して
おられ、その授賞式で「大塩平八郎のような革命者
はとても短編小説で描ききれるものではないよ。是
非長編小説に取り組みなさい」との激励を受け、こ
の言葉に奮い立ってついに本書の完成にこぎ着けら
れた。
本誌創刊号からの各号や本会の刊行した文献その
他多くの資料を縦横に駆使され、「大坂東町奉行
所」、「洗心洞」、「飢饉と米価」、「人間模様」、「蜂
起」、「苛烈」の順に章を追って物語は展開する。
筆者が冒頭に掲げた疑問の解明は本書に譲るので、
会員各位の一読を是非お勧めする次第である。〇二
年一一月一〇日刊、新人物往来社。本体価格一九〇
〇円。
◇訃報
謹んでお悔やみ申し上げ、生前の本会へのご協力
に感謝いたします。
湯川和夫〈ゆかわやすお)さん
〇二年九月一九日神奈川県藤沢市内の病院で死
去。八七歳。二松学舎大助教授、中央労働学園大助
教授、法政大教授を経て、同大名誉教授。本誌第六
号(七八年一〇月)に「麑洞とわたくし」と題して
寄稿されたのを機に本会に入会。健康を損なわれる
まで会に協力された。
野市勇喜雄〈のいちゆきお)さん
〇二年一一月二三日死去。本会へは九一年四月入
会され、「大塩の乱関係資料を読む会」に参加、「塩
逆述」の釈文を作製された。滋賀県安曇川町の小川
家文書の調査に当たられ、尼崎市立地域研究史料館
の活動にも協力された。
◇寄付の御礼
【略】
◇「大塩の乱関係資料を読む会」について
八九年六月以来、十有余年にわたり成正寺様、講
師の先生、事務局の皆様のご努力で、営々と続けて
参りました。このたび成正寺様の本堂改修工事のた
め、一時休会の予定でしたが、ご参加の皆様の強い
要望もあり、四月から会の直属研究部会として大阪
府教育会館(天王寺区)で再発足いたします。
会員の皆様には、改めて別途ご案内申し上げます
ので、これを機にふるってご参加下さいますようお
願いいたします。