Я[大塩の乱 資料館]Я
1999.9.25

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「洗心洞通信 4」

大塩研究 第4号』1977.10 より
 

◇第三回総会開かる

 三月二七日恒例の中斎・格之助命日を期して、成正寺において事件関係者の追悼法要と第三回総会が開かれた。

 総会では、この一年間の活動経過報告と昭和五一年度会計中間報告がなされた。現行の会費運営では財政状況が悪化の一方をたどるぱかりで、今後の対策の必要が痛感された。役員の改選については、現在なお任期々間中であるが、一昨年十一月の総会から二年間とすると、その時点で総会を開く必要があるため、一且この席で全員辞任し、あらためてこの日に重任することとし、全員再任された。

 会費も年額千円から二千円に改定された。財政難から自主的な研究活動が行きづまる例が多いことから、本会についても百数十名の会員の規模で、年間二回の機関誌発行はきわめて多くの問題をかかえている。

 その後、日本福祉大学の青木美智男氏の「大塩の乱と関東農村」と題する講演をうかがった。いままで大塩研究がもっぱら関西の史料を中心にくみたてられてきたのに対し、氏は、江川坦庵文庫の新史料を紹介しながら、関東農村への影響を興味深く報告された。(詳細は本号に掲載)

◇第三回例会

 七月二日午後、成正寺において第三回例会を開き、四天王寺女子大学の宮城公子氏から「彦根藩宇津木共甫が心と理を論ずるに答える書」(「儒門空虚聚語附録」の中より)の講読と大塩の思想の解説をうかがった。当日配布された史料のコピーにもとづいて、出席者が読み、官城氏が指導・解説される形をとって、学習の雰囲気がもりあがった。大意については、出版が予定されている中央会論社『日本の名著』の「大塩中斎」の一部を参考資料としてくばられ、朱子学と陽明学の相違、「良知」の特徴点などを説明された。なかなか難解な思想だけに会員一同真剣に理解しようとつとめ、事件にいたる思想構造を考える手がかりをつかんだ。なお当日の状況が、足立巻一氏によって写真入りで「ひらけゆく電気」77年8月号(関西電力内ひらけゆく電気発行所)に紹介されている。 (安藤重雄)

◇新宮の湯川麑洞碑について

 さる六月十二日、梅雨の晴間をぬって、当研究会員の中瀬寿一・大岡欽治・藤本栄治の各氏と十津川・熊野路の探勝に出かけた。マイカーを駆って河内長野・五条を経て、平谷(十津川温泉)の民宿にて一泊ののち、中辺路(熊野古道)に入る道すがら、大逆事件の大石誠之助の墓に詣でようと新宮市へ足をのばした。

 市役所で尋ねると、昼食時であったにもかかわらず、係員が親切に大石の埋葬されている市営南谷墓地まで案内してくれた(係の人の話しでは、大石の墓はいまは手入れをする人もなく、市の失対事業で年に何回か草刈りがなされるだけ、とのことで、訪れた日も墓石には草が生い茂り、周りのよく手入された墓石に比べてみすぽらしく胸が痛んだ)。

 帰りがけ、墓地内で、新宮市教育委員会のつぎの案内板が目にとまった。

         
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 偶然にも大塩関係者の墓碑にめぐりあったことを喜びながら、案内板の周辺を擦し回ったが、小さな山全体に無数にひろがる墓碑の中で、どれがそれなのかサッパリわからない。墓の手入れにきているひと数人に聞いても知らないという返事、市の係員も帰ってしまったので尋ねようもなく、あきらめかけて案内板の写真だけをとり下山して管理事務所で尋ねたところ、年配の一人がようやく「湯川さん? ひょっとしたら、あれかも知れん」と言って案内してくれた。

 案内してくれたところは皮肉にも、大石誠之助のすぐ近くで、湯川家累代の墓碑のある一画の中にあり、古い苔むした大きな石塔にまさしく「麑翁之墓」と刻まれていた。

 できうれば湯川家の人々、あるいは新宮の郷土史家に会って話しを聞くことができればと考えたが、時間が許さないので、やむなく写真の撮影のみにとどめて新宮をあとにした。

 今後、湯川麑洞についても大いに研究が深められ、本誌にその成果が発表されることを期待したい。

 なお『新宮市史』(一九七二年一〇月刊、新宮市役所)に、湯川について若干の記述があるので、つぎにこれを紹介しておきたい。  

         
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 この原稿を書いているとき、旅行に同行の中瀬寿一教授から湯川について貴重なご教示をいただいた。同教授は、かねてから『住友』についてご研究を深められており、大塩と住友家との関連について、数多くの史料を読破されておられるが、湯川麑洞の甥にあたる寛吉がのちに住友家に入り、総理事にまで昇進し、貴族院議員も勤めた住友の功労者であること、そしてこの寛吉の関連で住友の史料の中に麑洞が大塩の乱当時のみずからの行勤をつづった『丁酉遭厄記事』(ていゆうそうやくきじ)という資料の紹介があることなどである。

 これらについては、本誌次号にてくわしく発表されるご予定とのことなので、とりあえず紹介し、ご期待を乞う次第である。 (久保在久)


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