Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.4.6

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「洗心洞通信 66」

大塩研究 第78号』2018.2 より

◇禁転載◇


◇平成二九年七月例会―澤井廣次先生講演会「幕末期の社会変容と慶應二年大坂打ちこわし」

 研究会七月例会は、七月二二日(土)午後一時三十分から、成正寺で行われた。
 講師は、天理大学図書館 澤井廣次先生。天理大学・神戸大学大学院を卒業された、新進気鋭の研究者。研究会の会員でもある。講師紹介で、薮田会長は、このような若い研究者が我々に続いてくれることは非常に頼もしいと述べられた。
   【写真 略】
 演題は、「幕末期の社会変容と慶応二年大坂打ちこわし」。酒井前会長が始められた研究の新しい展開とのこと。豊富な資料を駆使した、分かりやすく、興味深い講演だった。いずれ本誌にも講演録が掲載される予定なので、ここでは講演の構成と若干の感想を述べるに止める。
 講演の構成は、「はじめに」の後、第一章 軍事拠点化に伴う大坂の社会変容― 1.前史として〜近世都市大坂の様相、2.長州征伐に伴う経済効果と負担、3.「浪士」の流入と対策。第二章 慶応二年(一八六六)大坂打ちこわし―1.打ちこわしの背景、2.発生・展開・終焉、3.他の打ちこわしとの相違点。第三章 幕末期大阪の社会変容と打ちこわし―1.展開の特徴と幕末期大坂の社会構造。おわりに。
 筆者には、この打ちこわしがそれまでとは様子が異なっている点が印象的だった。長州征伐の余波を受けた大坂の混乱時、無宿もの中心に何の予兆も無く発生し、わっと展開し、軍が出るとサッと終わってしまった。民衆の世直し気分横行を示しており、事件後幕府は様々な施策を打ったにも拘らず、もはや流れは押し止められなかったとのこと。社会の階層分化が激化するとどうなるのか。現在の世界の状況に照らして考えさせられる。
(出席者)【写真 略】 計三十名 (井上宏)

◇講演会「再考 大塩平八郎―大塩の乱一八〇年によせて―」

 十月二九日(日)、午後一時三十分から午後四時、大阪市立中央図書館五階大会議室で、講演会「再考 大塩平八郎ー大塩の乱一八〇年によせて―」が開催された。
 サブタイトルは、―大塩平八郎とは何者なのか? 大塩の乱とは何だったのか? 大塩の乱一八〇年の節目に、歴史・文学の専門家とともに考えます―
 大塩事件研究会・大阪春秋・大阪市立中央図書館の共催。講演とパネルディスカッションの二部構成で、
第T部
 @講師 薮田貫氏(大塩事件研究会会長・兵庫県立歴史博物館館長)による「大塩事件とは何か」
 A講師 福島理子氏(帝塚山学院大学教授)による「大坂をうたう大塩平八郎―『洗心洞詩文』から―」
 B講師 岩城卓二氏(京都大学教授)による「大塩の乱と能勢騒動で武功をあげた武士―水野正太夫の人生―」
第U部
 上記三氏によるパネルディスカッション「大塩の乱とは何だったのか」
 三階で関連展示もあった。
 当日は雨天。夕刻に大型台風が近畿に最接近の予報で、前日から図書館に開催についての電話が沢山寄せられたそうだ。それでも、一八〇名と大勢の聴衆が詰めかけ、熱心に講師の話に耳を傾けた。
 今回の講演会は、『大阪春秋・大塩の乱一八〇年特集号』発刊記念とも銘打っている。同誌には多くの先生方にご執筆いただいたが、今講演会は大塩を巡る文と武の関係に焦点を当てたいと福島・岩城両先生にご登壇いただいたとのこと。
 藪田先生から、大塩は文人・武人の両面を持っているが、学問の力と武士の政治力で世を変えたいと動いた。それが乱であり、建議書であるとの指摘があった。
 福島先生からは、大塩は詩人としての美意識があり、世間が抱く先入観とは異なった一面がある。また、日本の儒者は学問が実行につながらない煩悶があるが、大塩は行動する儒者として珍しい存在であるとの話があった。
岩城先生からは、江戸時代は武士の社会であり、行政手腕で出世するチャンスは少ない。大塩の乱は、島原の乱以来二〇〇年、初めて公儀御威光が試された瞬間。水野はそのチャンスを捉えることが出来た。明治維新に向け、武の時代再来の幕開けだったとの指摘があった。
 主題から外れるが、建議書の封を切ったのは誰かについて、岩城先生から興味ある問題提起があった。
   【写真 略】
 この講演会についても、いずれ、『大塩研究』で、詳細の紹介が有る筈である。(井上宏)

◇十一月例会 フィールドワーク「酒と織姫の町池田を歩く」

 十一月十八日(土)十三時より、池田市でフィールドワークが開催された。まずは、阪急の創始者・小林一三が開発した室町住宅の中心に位置し、絹織物伝来の伝説と関わりがある呉服神社(写真)を訪れた後、池田城跡に向かった。
   【写真 略】
 池田城跡は現在公園として整備され、市民の憩いの場となっている。ここから、池田氏の菩提寺、大広寺(写真)を訪れた。池田城を見下ろすこの寺には一三の墓もあり、宝塚音楽学校の新入生が墓参するのが慣例である。大阪府指定史跡にもなっている前方後円墳、池田茶臼山古墳は整備工事中で残念ながら見ることはできなかった。この古墳からの出土品を収蔵する池田市立歴史民俗資料館では特別展「天若不愛酒(てんもしさけをあいせざれば)―近代池田の酒づくり―」が開催されており、この日のフィールドワークは同展の観覧で一段落となった。
 当日の案内役は、池田市立歴史民俗資料館学芸員で、本会会員の宮元正博が務めた。
(出席者)【略】  計十七名 (宮元正博)

◇『大阪春秋』秋号で「大塩の乱一八〇年特集号」が発売

   【表紙写真 略】
 大阪の歴史と文化を中心に編集する郷土季刊誌『大阪春秋』が、秋号として「大塩の乱一八〇年特集号」を十月一日に発売した。A4版一二〇頁、定価一〇〇〇円+税。充実の内容なので、ぜひ書店でお求めいただきたい。特集内容を列挙すると、
○スペシャル対談 旭堂南海 × 藪田貫 「大塩平八郎とは何者か 歴史と講談から探る」 構成 長山公一○総論 「大塩平八郎中斎の生涯」 藪田貫 ○「大塩事件前夜の社会情況 ―天保期の大坂とその周辺地域を中心に― 」松永友和 ○「大塩中斎と陽明学」 森田康夫 ○「大塩平八郎と門人たち」 常松隆嗣 ○「大坂をうたう大塩平八郎 ―『洗心洞詩文』から―」 福島理子 ○「大塩中斎と齋藤拙堂」 齋藤正和 ○「大塩の乱と能勢騒動で武功をあげた武士 ―水野正大夫の人生―」 岩城卓二 ○「特別寄稿 大塩の檄文」 深谷克己 ○「近代小説・読物にみる大塩平八郎」 高橋俊郎 ○「大塩平八郎を描いた映画」 田辺敏雄 ○「船場町人・銭屋松家の大塩の乱伝承」 小林義孝 ○「大塩に半生を捧げた男 ―石崎東国と近代日本における大塩の乱―」 山村 奨 ○「大塩家の菩提寺 成正寺」 有光友昭 ○「大塩事件研究会のあゆみ」 内田正雄 ○「酒井一先生と大塩事件研究会 三〇年を超えるお付き合い ―生涯の恩人」 久保在久 ○コラム 「大阪府立中之島図書館の玄武洞文庫」 編集部 ○コラム「大丸の『大塩の乱』伝承」 編集部 ○「大塩の乱ゆかりの地探訪 ―史蹟を訪ねて、大塩の乱を実感しましょう―」 編 大塩事件研究会 ○資料 「大塩関係略系図+大塩の乱関係文献目録+大塩の乱関係者一覧+大塩平八郎関係年表」 編 大塩事件研究会 ○付録解説 「大塩焼図(大阪歴史博物館蔵)+御役録 天保八年改正(大阪市史編纂所蔵)」 編集部 ○付録:大塩焼図(大阪歴史博物館蔵)+御役録 天保八年改正(大阪市史編纂所蔵)
 お求めは、ジュンク堂大阪本店、同千日前店、紀伊国屋梅田本店の店頭、または、お近くの書店からお取り寄せ注文となる。(井上宏)

◇隠岐の島で、「おきゼミ〜大塩平八郎の乱一八〇年と隠岐〜」開催

 九月二四日(日)、隠岐島文化会館で、藪田貫先生と旭堂南海師による対談「大塩事件とは何か」と、旭堂南海師による講談「大塩事件異聞:西村常太郎物語」が行われた。主催は(公財)隠岐の島町教育文化振興財団。
 大塩平八郎の乱に関係して隠岐の島に流された少年・西村常太郎を主人公として、幕末から明治初期にかけての同島の激動の時代を描いた歴史小説・飯島和一著『狗賓童子の島」が、司馬遼太郎記念財団主催の第一九回司馬遼太郎賞を受賞。また、文芸春秋社「オール読物」二〇一五年十二月号で、「時代小説、これが今年の収穫だ!」にも選ばれた。隠岐ではそれが話題になっていたが、旭堂南海師が同小説の一部を講談化したのを機会に、本企画が実現した。詳細は本誌での藪田先生報告をご覧いただきたい。(井上宏)

◇大塩の乱ゆかりの各市(守口・門真・枚方・吹田)で、大塩の乱一八〇年関連行事相次ぐ
 大塩の乱に関係の深い各市では、大塩の乱一八〇年を記念して、様々な行事が行われた。その一部を報告する。

一.守口市
◆歴史講座「大塩平八郎と守口」
 十一月十四日(火)午後一時三十分から、守口市中部エリアコミュニティーセンター(守口市役所地下一階)で開催された。
 講師は、大塩事件研究会会長の薮田貫先生、当日は雨にもかかわらず、定員一杯の四十名の聴衆が詰めかけ、熱心に聴講していた。
 講演内容としては、事件の概要、大塩平八郎の与力として、学者として、詩人としての人となり、檄文のこと、事件への参加者と処罰など、多岐に亘ったが、特に、京街道筋の村々が、大塩と如何に縁の深い土地であったかを強調されていた。
   【写真 略】
 天満〜守口〜尊延寺村を「大塩の道」と表現され、大塩が淀川近郊を散策し、詩作に耽ったこと、般若寺村の橋本忠兵衛、守口の白井孝右衛門、門真三番村の茨田郡士、尊延寺村の深尾才次郎宅などを、京街道を歩いて度々訪れたことなどを紹介されていた。

◆もりぐち歴史館「講談・大塩平八郎」
 十二月一日(金)午後一時三十分から、講談「大塩平八郎」〜守口市と関わりのある大塩平八郎のお話を講談で〜 と銘打って、もりぐち歴史館で行われた。演者はもちろん旭堂南海師。
 この歴史館は、旧中西家住宅。中西家は、近世初期に尾張徳川家と姻戚関係を持ったことなどから、後に尾張藩天満御屋敷奉行などをつとめた河内きっての名家の一つ。この地に居を構えたのは、十六世紀中頃とされ、棟札には、弘治元年(一五五五)に主屋が創建され、元和二年(一六一六)に再建、現在の建物は寛政五年(一七九三)の再々建で、長屋門(大門)は安永五年(一七七六)に再建されたと記されている。大塩も講義をしたと伝えられる書斎も残される、由緒ある建物での講談は、聴衆を魅了したと思われる。筆者も出席の予定だったが、風邪のため辞退せざるを得なかったのは残念だった。(井上宏)

二.門真市・枚方市
門真市の門真市立歴史資料館、枚方市の市立枚方宿鍵屋資料館、淀川資料館の三館が共同企画で、「北河内・淀川ゆかりの人物伝」の展示が、十月十一日(水)〜十二月三日(日)に行われた。その中で、門真の展示が大塩の乱関連であった。
◆門真市立歴史資料館「大塩平八郎と門人たち」
 大塩の乱に参加した門真三番村茨田郡士家に残された資料を中心に展示。特に郡司が所持したと伝わる館蔵の短刀が目を引いた。また、寛文二年の「河内国絵図」、明治十五年刊の『今古実録 大塩平八郎伝記』(守口文庫蔵)など地元ならではの展示があり興味深かった。
   【写真 略】
 ビデオコーナーでは「大塩平八郎と民衆」他が上映されており、椅子席で休憩がてら楽しめた。(内田正雄)
◆史跡めぐり「大塩平八郎関連史跡をめぐる」
 門真市立歴史資料館・市立枚方宿鍵屋資料館・淀川資料館合同企画展の関連イベントとして、標記の催しが十月二八日(土)十三時からおこなわれた。はじめに造幣博物館館長の案内で博物館を見学し、造幣局の敷地内にある洗心洞跡・与力役宅長屋門を巡った。その後、天満寺町を通り、大塩家の菩提寺である成正寺に到着。成正寺では大塩平八郎・格之助の墓をはじめ、大塩家の墓も見学し、行程を終えた。当日は時折、激しい雨が降るあいにくの天候であったが、十一名の参加者を得た。講師は門真市立歴史資料館学芸員で本会副会長でもある常松が務めた。(常松隆嗣)
◆講座「大塩平八郎と門人たち」
 十二月二日(土)十四時より、門真市立歴史資料館・市立枚方宿鍵屋資料館・淀川資料館合同展示「北河内・淀川ゆかりの人物伝」の関連講座として、標記講演会が鍵屋資料館にて実施された。講師は門真市立歴史資料館学芸員の常松隆嗣氏。守口町の白井孝右衛門や門真三番村の茨田郡士、尊延寺村の深尾才次郎ら、北河内ゆかりの門人に加えて、明治に入って平八郎の墓を建立した田能村直入、「大塩一条御仕置」を見た庄屋畠山武兵衛に関して、講師のこれまでの研究に関連づけて講演した。当日の参加者は四六名。講演後の質疑も活発なものとなった。(市立枚方宿鍵屋資料館学芸員 片山正彦)

三.吹田市
◆街歩き『大塩平八郎の乱を巡って』開催
 吹田市でも公民館イベントで大塩の乱をテーマにした天満界わいの「まち歩き」が企画された。
 平成二九年十一月十五日 主催 吹田市東山田公民館。参加者 市民十五名。主なコース 成正寺―蓮興寺―槐の跡―洗心洞跡―与力門―天満橋―天神橋―大阪天満宮―JR天満駅(解散)
 三月に吹田市立博物館の学芸員による「大塩平八郎」の講演会が行われ、参加者の要望により実施された。
 成正寺に続き吹田市にある泉殿宮の、当時の宮司宮脇志摩の母、清(せい)の墓を蓮興寺に詣でる。
 また、大坂天満宮は、大坂の陣の戦火を免れるため神輿が吹田の庄屋橋本清太夫家に運ばれた。今でも市内の正福寺に碑があり、市民の関心が深い。(子孫である江戸末期の橋本清太夫は大塩平八郎と親交があり、子息二人は洗心洞の門下生)。 (内田正雄)

◇テレビ放送、NHK・Eテレ、「歴史にドキリ」で、「大塩平八郎〜庶民の反乱」放映

 十一月十五日(水)午前九時四五分〜九時五五分、表記番組が放送された。小学生向け十分間の番組だが、一応乱の概要が掴めるよう編集されている。歌あり踊りあり、小学生が興味を持てそうな番組である。
 NHKのホームページでバックナンバーを観覧できる。NHKオンラインで、「歴史にドキリ」第二七回を検索してご覧いただきたい。(井上宏)

◇天声人語『大塩の銘 山中の賊、心中の賊』

 大学の入学試験などでも取り上げられ、幅の広い読者層を持つ、朝日新聞の『天声人語』平成二九年九月二六日欄で大塩平八郎が書に残した銘に触れている。
 安倍首相が自民党の仕事始め式で大塩の座右の銘を紹介したことに対し、首相自身の姿勢が問われているのである。一部を転載する。

で結んでいる。(内田正雄)

◇『大塚薬報』に大塩記事

 本会会員で、大塩ゆかりの東大阪市・政埜家ご出身の政埜隆雄さんは薬剤師。同氏から今回、大塚製薬(株)が、医師や薬剤師など専門家に向けた同誌(一九五〇年二月創刊、十七年十二月号)に、大塩に関する記事があることをご教示いただいた。シリーズものの連載「ライバルの日本史」で第五回目、執筆者は佐藤理一氏。「水野忠邦と大塩平八郎」のタイトルで、小見出しに「一介の与力が老中に挑戦」「暴かれた巨大な不正」「庶民を守らぬ幕府の政策」「大塩の乱は倒幕につながる」と書かれていることからも分かるように、大塩の乱を「義挙」と評価した論考となっている。専門外の会誌にも大塩が取り上げられているので、本誌読者に紹介したい。(久保在久)

◇ハーバード大学日本史教室で、大塩平八郎の檄文が教材に

 書店に、中公新書ラクレ『ハーバード日本史教室』佐藤智恵著(税別八二〇円)が並んでいたので、書名に惹かれて読んでみたら、あのハーバード大学日本史教室通史の、江戸時代についての教材に、「大塩平八郎の檄文」が用いられていることを知った。何でやねん?と読んでみると、厳しい封建体制の下で、何故彼が乱を起こしたのかを理解するために、必要不可欠な資料であると簡略に記されていた。
 ちなみに、それ以外の同時代において教える時は、『放屁論』(平賀源内)『北越雪譜』(鈴木牧之)など、庶民の生活を描いた作品を課題図書として読ませているとのこと。
 この講座を担当している教授はアンドンルー・ゴードン氏で、アメリカにおける日本史研究のリーダーのひとり。研究の主たる分野は―日本の近現代の労使関係史・社会関係史・政治史―。二〇一四年に旭日中授章を受賞されている。
 詳しくは、同書中の「第1講義」の章をご覧いただきたい。(山崎弘義)

◇朝日新聞夕刊連載記事「追跡 大塩平八郎 反乱から一八〇年」

 十一月二十日(月)から十二月四日(月)まで、土・日・祝日を除いて計十回、朝日新聞夕刊に表記記事が連載された。大峯伸之記者の執筆である。東は仙台から西は隠岐の島まで実に精力的な取材をされた。
 第一回の見出しは「腐敗追及 現代にはおらんのか」。九十年万博時、地下道美化のための新聞販売スタンド撤去に反対して、「市役所に大塩平八郎はおらんのか」との壁新聞があったと紹介し、「与力時代は決してわいろを受け取ろうとせず、陽明学者として説いたことを実践しようと蜂起したとして、大塩は主に『清廉潔白』のイメージで語られてきた。だが、一方で『江戸で栄達を得ようとして失敗した』などと、異なる大塩像を唱える人も昔からいる。蜂起から一八〇年。大塩の『素顔』を追ってみる」と連載の意図を述べている。以下、見出しを並べると、二回「清廉潔白か 上昇志向か」。三回「『異質の存在』評価は二分」。四回「人気の背景にアンチ中央」。五回「乱を支えた郊外の豪農」。六回「門弟の子孫ら 沈黙破る」。七回「乱の痕跡 隠岐諸島にも」。八回「苦しむ農民を守るため」。九回「隠岐騒動の文書 八尾に」と続き、最終回の十回「武士への誇りと屈折と」では「『義人』という評価は高まったのに、大塩にはいまも毀誉褒貶がつきまとう。一筋縄ではいかない不思議な人物である。それが大塩の『素顔』なのかもしれない」と結んでいる。
 本連載は朝日新聞社から利用許可をいただき、「大塩事件研究会のブログ」に転載している。(井上宏)


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