Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.8.26訂正
1999.11.13

玄関へ

「洗心洞通信 7」

大塩研究 第7号』1979.3 より
 
◇第六回例会を枚方尊延寺で開催

 十一月五日午後一時半から枚方市大字尊延寺の来雲寺において第六回例会を開いた。深尾才治郎ら尊延寺村から多数の事件参加者を数えたゆかりの地で、昭和四七年六月にもと才治郎・治兵衛の家のあった通称「正太郎屋敷」に、深尾倬三・深尾武・野田昌秀氏らの尽力で大塩中斎先生遺蹟として記念碑が建てられて以来当地では久方ぷりの集会となった。深尾武氏や野田昌秀氏や藤江父子の方々が地元で関係者子孫と連絡をとって準備をととのえられた。ちょうど例会の一カ月ほど前に、寝屋川市葛原の上堀二三六文書のなかから尊延寺村の大塩事件関係の記録が発見されたことが新聞で報道されたこともあり(本誌第六号参照)、また枚方市役所も広報紙を通じて催しをもりたてたことも加わって、出席者は約八十名に達し、会創立以来最大の人数を数えて熟気あふれる集会となった。

 正式の会員よりむしろ地元枚方市民の参加が多かったことは、地域に根ざした研究の重要性からみて、とくに意義深いものがあった。

 当日の状況は、本号に掲載した長谷川伸三氏・林佐喜子氏の参加記に詳しい。研究者と地元市民として自主的な婦人学級での歴史学習を重ねてこられた主婦の二つの眼からの報告がそれぞれの特徴的な印象をもりこんで示されている。

 酒井一氏の「大塩の乱と枚方地方」の講演も、右の手記に触れられているが、尊延寺村の領主であった旗本永井氏の船橋役所の報告(上堀文書)が、事件にさいして動いた領主側の記載については「浪華異聞」と全く一致していることは興味深い。供述にもとづく農民の動きについては、まだ多分に取調ぺ側の史科としての制約を残しているかもしれない。

 事件の参加の仕方についても、才冶郎らに強引につれて行かれたとする吟味史料に対して、積極的・計画的に農民が加わったという伝承もあるので、この点については今後聞取りを重ねる必要があろう。

 来雲寺での法要、講演、才冶郎らの墓への参詣(墓の発見については、本誌第五号の田宮久史氏の論文を参照)、深尾家一族の屋敷の見学、一部有志による尊延寺五大明王の拝観など、充実したみのり多い一日であった。

 当日深尾武氏の御好意により、先着六十名の方に、昭和四七年に大塩記念碑建立にさいして配付された灰皿が同じ鋳型をつかって鋳造されてくばられ、また缶コーヒーも頂戴した。終始お世話を願った地元の皆様に心から御礼申し上げたい。

◇オックスフォード大学附属図書館が入会

 昨年七月一日付けで、イギリスのオックスフォード大学附属図書館のポドレアン図書館東洋書籍部(Department of Oriental Books,Bodleian Library,Oxford)のジョン=バン(John Bunn)氏から本誌のパックナンバーの申込みがあった。この図書館では大阪関係の資料を収集しており、国会図書館の雑誌目録で「大塩研究」を知ったと思われる。和文の手紙で、その内容は、すでに十二月六日付の朝日新聞「青鉛筆」に紹介されて反響をよんだ。

 早速送本したところ、九月二九日付の便りで誌代を送金したことと、引続き発行次第船便で送ってほしいと希望があり、「日本の歴史を学ぷ学者にとって、重要な雑誌だと思って、所蔵することが出来まして本当にうれしいと思っております」と和文の手紙を結んであった。

 本会が国際的なひろがりをもったことは、大変よろこばしく、今後の大きな励みになる。それにつけても、日本の大学から注文がないのはどうしたことか。一部大学から雑誌交換の申出があったが、赤字経営の本会ではとても応じられなかった。地方自治体史の編集の例でも、アメリカ、イギリスなどから直接注文があるのに、国内の大学からは寄贈依頼こそあるが、申込みがほとんどないのが現状である。果して日本の学術文化の研究はどうなっているのか。会のためによろこぶ一方、祖国の文教政策の貧困さを考えると気が重くなる。

◇三宅島流刑史

 一九七八年十月に三宅島史編さん担当主幹池田信道氏の『三宅島流刑史、付三宅島流人帳控(全)』(小金井新聞杜)が発刊された。そのなかに「天保九戌年十月六日三宅島江流罪 大久保与右衛門様御掛り 新島船 合八人」とあって、八人の流刑者のなかに「大坂一件之御科ニて遠島大塩平八郎伯父大坂町奉行跡部山城守組与力大西与五郎五十歳」と記されている。なおこの史料については、すでに戦前に『上方』第23号に「伊豆流人帳に現れたる上方流竄者に就いて」が写真入りで、平八郎の伯父大西与五郎に触れている。

◇『日本の名著』大塩中斎の公刊

 戦後久しく大塩平八郎の著作が公刊されることがなかったが、このたび中央公論の『日本の名著』で漸く日の目をみた。「洗心洞箚記」(松浦玲訳)・「古本大学刮目」「儒門空虚聚語附録ほか」「佐藤一斎に寄せた手紙と返書」「檄文」(以上宮城公子訳)が収められている。ほかに佐藤一斎の「言志四録」も加わっている。御一覧を乞う。


洗心洞通信 6」/「洗心洞通信 8」/ 「洗心洞通信 一覧

玄関へ