はし がき
○ 詞 序
かた なれ うと しず
雅に偏りて俗を卑むハ、真正の風雅にあらず、俗に慣て雅に踈きハ、無下の賤に
よろしき さうこ
して論ず可からず、人情相和して雅俗と混じ、而て世態の宜を得る者多く、操觚
そも/\ はた
の任にあり、抑日刷の新聞紙ハ、社説論文の余白雑報の漫語に興あり、将臨時発
あつ ひとし ちくさ
兌の雑誌の如きハ、草刈蒐む籠に等く、花あり実あり、枝葉あるも、野山の千種
かれき ゑり すつ
に打交り、落葉、わくら葉、枯草のみ撰分て、棄るを得ざれバ、此を籠中に拾ひ
ものすき をのづからまつた
取、人の眺に供ふるより、十種十色の佳興ありて、雅中の俗々中の雅致自然完か
こたび
らん歟、花洛の四時に富める、独り草木のみならず、文化盛典の余栄這般美也子
きやうなには う し た ち ふ み
新誌の数葉を綴り、第一号を開くより、目下京坂間に名ある操觚先生の此新誌に
みづぐき
水茎のちからを添え、開ける花の世に広く薫りを伝へたまふと聞、十目の観、必
こきませ たえ
ずや之に帰す可く、見渡せば、柳桜を混交し、美也子新誌の盛り絶せず、江湖一
かんば か みつ
般芳しき香の満るを祝し、素志一編の拙序を記す、
京阪の遊歴者 仮名垣魯文
○
これ
見渡せば、柳桜をこきまぜて、都ぞ春の錦なりけり、是ハ此、人も知りたる素性
よめ こたび
法師が、花盛に京を見やりて詠る歌なり、今般吾友駸々堂の主が発行なす、美也
か
子新誌ハ、当世流行なる那の人情話の続物語をのみ編輯なすものなるが、近来東
京にて発兌せる一二の雑誌の、徹頭徹尾諸新聞に掲げ出たる続物語を抜粋し、或
ハ古人の著述を編録し、労せずして利を得んとする如き者にハあらずとして、其
う し た ち このひつ
文章ハ、目今京坂間に其名隠れなき大人先生に執筆を請ひ、其指絵ハ、魁新聞に、
もと
西京新聞に其技を顕したる山崎年信氏に揮毫を需むとのことなれバ、文章の艶麗
こきまぜ
なる、指絵の精妙なる、恰も柳桜を交加たる、都の春の錦を、居ながらにして見
そむ みやひと
渡したるが如く、美也子新誌の名に負かざる好雑誌なるべけれバ、京の風士は更
あがな
にもいハず、浪華の粋家も吾劣じと購ひたまへ、求めたまへと、祝詞とも序文と
たわこと ふんで ふたゑだみえだ いとざくら なが
もつかぬ譫語をば筆に任せて、二朶三朶、開初めたる軒端の垂糸桜を打詠め、京
い つ おもひやり
の花盛ハ、何日頃ならめなど、想像つゝ、四月一日の午前八時、浪華瓦町あしの
もと
屋の東窓の下に記す、 宇田川文海
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