まこと うるはし ものいふ う え ど こ ろ
だまされて来て真なり、初桜其花よりも艶麗き、解語花の街売女色地、一目千本
なところ かはり
の吉野山、嵯峨や初瀬の名所も、此処にハ如何で草も木も、色変行く秋の日も、
たぐひ
雪に霰に降しきり、淋さ増る冬の夜も、常に春なる別世界、比類浪花の新町と、
ひとくるは
世にも聞えし一廓、其南通一丁目に、格子造に船板の、塀を見越の松一樹、変ら
それ
ぬ色の夫ならで、色で丸めし娑婆世界、孔子も倒るゝ恋の山、小山の席の君子と
い ま みたり すまひ
て、当時此里に一歟二歟、三人ハあらぬ全盛の、芸妓の住居と知られたり、
ぐわらり
表の潜戸瓦羅離と引明け、入来る女は年の頃、二十の上を二つ三つ、米沢紬の節
糸織茶の千筋の上着に、八丈染の縮緬の下着、黒繻子と八反の昼夜帯に、古渡唐
くつきり いと それのみか かたち うつく
綫の羽織、素顔なれども皎然と、色最白き夫耳欺、顔も容も娟しきが、奥の一間
ほとり お ば
に病臥せる老婆が枕の辺に坐り、阿婆ヤン、今帰つて来たよ、今朝も妙見様にお
まゐり
参をして、お百度を踏で来たから、妙見様の御加護計でも、急度能く成るに違ひ
たしか
ハない程に、気を強に持て、お薬をお上りよ、昨日も先生が大分容子が好い故、
やが
頓て本復するであらう、と仰しやつたから、決してお案じでない、と優く謂へバ、
もた きみこ も
老婆ハ重き枕を漸々擡げ、ヲヤ君子チャン、最うお帰で御座り舛か、と謂ひつゝ
つく/\なが ちいさ ばかり
君子の顔を熟々詠め、幼少い時よりお傍に居て心計のお世話を仕たとて、長の歳
うみ まだ
月大事に懸け、生の親にも勝りたる、朝な夕なの御孝養、未其上に今度の病気、
た べ も の そればかり ありがた
医者よ薬よ滋養物よと、手厚い看病、夫計か妙見様へ日々のお百度、難有いとも
かたじけな ほろり
忝いとも、お礼の申様も御座りません、と潜然と落す一滴、熱き涙の白玉に、清
あわれ さす
き心の底見えて、いとゞ憐を増鏡、床の上にと這上て、君子ハ老婆の背撫摩り、
なみ/\
幼少い時から今日が日迄、普通ならぬお世話になつた事を思へば、お百度は偖置
て、儘になるなら此身を捨ても、お前の寿命を延し度位に思ふて居る程なれバ、
づかへ やめ ひるすぎ
其様な心支ハ止にして下され、午後からは自然お座敷へも出ねバ成らぬ事故、今
うち
の中にチト腰でも撫て上げよう、と昨今新町小山席の君子が、此迄に心を尽して
いと おぎなひ
看病なす、其老婆の履歴を聞くに、最面白く且ハ勧懲の補にもなる物語あれば、
い ま かんかく ふし
本日より号を逐ひ、章を重て看客諸君の御一覧を煩はさんとす、只其事の節ある
つたなき さいはい
を取て、其文の拙を責め賜ふ事なくんば記者の幸、是より甚しきハなし、
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