山上智海 『法華外伝』田辺書店 1920 所収
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第十章 主義の人、大塩平八郎 一 ほんもん まつ 池上本門寺の霊宝の中に鳥の子紙に書写し奉れる一部八巻の法華経 が在ります。長さが約五寸位で、その文字は極めて丹念に書かれて居 ます。そして其第八の巻の奥書に 寛政四壬子従春至夏写終八十二日 奉唱御題目二万篇 書写功徳主 大塩平八郎 花押 と認められて居ます。此の法華経こそは、所謂デモクラシーの急先鋒 よしたか たりし中斎大塩平八郎の父大塩敬高(俗称平八郎)が実に廿有三歳の ときに書写しまゐらせたもので、之れを其子中斎に伝へたところから、 つ つね 中斎も其父の善根を紹いで、常に恒に受持し読誦して居たのです。そ ころ の尊き八巻をば明治十二三年の比、海舟勝安房伯から本門寺へ寄進さ れた次第であります。 彼の大塩家は祖先から日蓮宗に因縁深き檀徒なのでした。で大塩敬 を 高も廿三歳と申す青年の身を以て、大乗妙典書写の浄行を卒へて居る けつみやく う くらゐである。その血脉を承けし中斎に至つては、陽明学の型へ日蓮 ちかうがふ 主義の魂を打込んだ熱烈な信仰家で、法華色読と知行合一とを経緯と あつぱ して遖れ一世に著れて居ました。「知またの噂」其他に ●平八郎(中斎)は若年の時より先祖の祭をよく心にかけて、日々三 度づゝ仏祖へ給仕は勿論、仏器の洗ひもの等まで、下女下男にまか けたい ・ ・ せず、自身にて洗ひきよめ、少しも懈怠なく日頃これを勤め、諸人 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 甚だ感じけるほど故、いよいよ仏事に他事なく月日を送りける……。 と云つたやうな消息が見えて居るのに徴しても、以て彼れが日常にお はうふつ ける精進の体が髣髴として眼前に展開される乎の如く想はれませう。 かく きよ な 然るに、斯の如き純なる血脉を伝へ、斯の如き聖き家庭の人と為り、 斯の如き偉大なる御主義を奉じつゝ、子弟教養にいそしみ居りし中斎 しんかん 大塩平八郎先生が、天保八年二月十九日を以て、大阪の天地を震撼せ しめたる大騒動の主謀者となつたといふことは、その動機は兎も角と いさゝ せきい とた して、聊か碩異の感に禁へないのですが、再応之れを研究して見ます さすが れば、遉に彼れが一代の言行は日蓮主義によつて終始してゐるやうで す。彼れの学問は王陽明から来てゐますが、其信仰は全く日蓮上人の たまもの 御主義を奉じて、法華経を体読した宝物なのです。陽明学は骨で、日 たましひ 蓮主義は霊です。血です、肉です、やがて其生命なのです。彼れは陽 へうし きよた せんき 明学を標幟として、其家塾洗心洞に許多の英材雋器を養成しました。 かう けれども其裏に燃ゆる力用、耿々たる光明は、正しく法華経身読の結 さんかう 果ではありませぬか。日蓮上人鑚仰の結果ではありませぬか。
「大塩の乱関係論文集」目次