山上智海 『法華外伝』田辺書店 1920 所収
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四 (つづき) 捨訴の状(落し文) 四海困窮致し候はゞ天禄長く絶たん、小人に国家を治めしめば災害 きみ おかせられ 並び至ると、昔の聖人深く天下後世の君人の臣たるを御誡め被置候 くわんくわ 故、東照神君にも、鰥寡孤独に於て尤も憐みを加ふへきは是仁政の こゝ かみ 基と被仰置候、然るに茲二百四五十年太平の間に、追々上たる人 けうしや 驕者とて驕りを極め、大切之政事に携り候諸役人共賄賂を公に授受 とて贈貰致し、奥向女中の因縁を以て、道徳仁義もなき拙き身分に へ くふう めぐ て立身重き役に歴上り、一人一家を肥し候工夫のみに知術を運らし、 其領分知行所の民百姓共へ過分の用金申付け、是迄年貢諸役の甚し きを苦む上、右の通り無体の儀を申渡し、追々入用重ね候故四海困 かみ 窮と相成るに付、人々上を怨まさる者なき様に成行候得共、江戸表 より諸国一同右の風儀に陥り、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ 天子は足利家以来別して御隠居御同様、賞罰のネを御失ひに付、下 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 民の怨気何方へ告愬とてつげ訴ふる方なき様に乱候に付人々の怨気 ・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 天に通じ、年々地震火災山も崩れ水も溢れるより外色々様々の天災 ・・ ・・・・・・・・・・ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 流行、終に五穀飢饉に相成候。是皆天深く御誡め有難き御告げに ○ ○ ○ ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・ 候得共、一向上たる人々心も付かず、猶小人奸者の輩大切の政を執 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・ 行ひ、只下を悩まし金米を取立つる手段計りに打懸り、実以て小前 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・ ・・ 百姓共の難儀、吾等如きもの草の陰より常に察之悲候得共、湯武 ・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・ の勢位なく、孔子孟子の道徳もなければ徒に蟄居致し居候処、此節 ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 米価弥々高直に相成り、大阪の奉行竝諸役人共万物一体の仁を忘れ、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 得手勝手の政道を致し江戸へ廻米を致し、天子御在所の京都へは廻 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ・・・・・・・・・・・・・・・・ 米の世話も不致のみならず、五升一斗位の米を買ひに下候者を召 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ 捕りなど致し、実に昔葛伯といふ大名、其農人の弁当持運び候小児 ・・・・・・・・・・・ いづ を殺候も同前に言語道断、何れの土地にても、人民は徳川家御支配 へだて の者に相違なき処、如此隔を付候は全く奉行等の不仁にて、其上 いうみん 得手勝手我儘の触書を度々差出し、大阪市中游民計りを大切に心得 候は、前にも申通り道徳仁義を不存拙き身故にて、甚以て厚かま しく不届の至、且三都の内大阪の金持共年来諸大名へ貸付候利徳の かすめ 金銀並扶持米等を莫大に掠取り、未曾有の有福に暮し、町人の身を おびたゞ 以て、大名の家老用人格等に被取用、又は自己の田畑新田等夥し ・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ く所持し何不足なく暮し、此節の天災天罰を見ながら畏れも不致、 ・・・・・・・・・・・・ ・ かうりやう 餓死の貧人乞食をも敢て不救、其身は膏梁の味とて結構の物を食 ひ、妾宅等へ入込み、揚茶屋へ大名の家来を誘引し参り、高価の酒 を湯水を飲むも同様に致し、此難渋の時節に絹服を纏ひし河原者を ちうわう 妓女並に迎へ、平世同様に遊楽に耽候は何等の事哉、紂王長夜の酒 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 盛も同事。其処の奉行諸役人共手握居候政を以て右の者共を取締め、 ・・・・・・・・ ・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ 下民を救候儀も難出来、日々堂島相場計りをいじり候事致し、実 ・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・ に禄盗にて、決して天道聖人の御心に難叶御救なき事に候、蟄居 ・・・・・・・・ ・ ・・・・・・・・・・・・・ ○ ○ ○ ○ ○ の我等最早堪忍難成、湯武の勢孔孟の徳はなけれ共、無拠天下の ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ・・・・・・・・・・ ・・・・・・ 為と存じ、血族の禍を犯し、此度有志の者と申合せ、下民を悩まし ・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・ 苦め候諸役人を先づ誅伐致し、引続き驕に長じ居候大阪市中金持の ・・・・・・・・・・・・・・・・ 町人共を誅戮に及び申す了簡に候間、右の者共穴蔵に貯置き候金銀、 銭等諸蔵屋敷内に隠置き候米俵米夫々分散配当致し遣候間、摂河泉 たと 播之内、田畑所持不致者、縦へ所持致し候共、父母妻子家内の養 方難出来程の難渋者へは右金米を取らせ遣候間、いつにても大阪 市中へ騒動起り候と聞伝へ候はゞ、里数を不厭一刻も早く大阪へ もし 向け駈参るべく候面々へ、右米金を分遣し候。若亦其内器量才力有 之者には夫々取立て、無道の者共を征伐致候軍役にも遣ひ可申候。 ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・ ・ 必ず一揆蜂起の企とは違ひ、追々年貢諸役等に至る迄軽く致し、都 ・ て ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 中興神武帝御政道の通、寛仁大度の取扱に致遣し、年来驕奢淫逸の ○ ○ ○ ○ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 風俗を一洗相改め、質素に立戻り、四海万民何れも天恩を有難く存 ◎ ・・・・・・・ ・・・・・・・・ じ、父母妻子を養ひ、生前の地獄を救ひ、死後の極楽成仏を眼前に ・・・・ ・・ 見せ遣し、尭舜、 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 天照皇太神の時代に復し難く共、中興の気象に恢復とて立戻し申す ◎ ◎ ◎ べく候。 あまた 此書付村々ヘ一々知らせ申度候得共、数多の事に付最寄の人家多候 大村の神殿へ張付け置候間、大阪へ廻し有之番人共に知られさる様 に心掛け、早々村々へ相触れ申すべく候。万一番人共眼付け、大阪 四ケ所の奸人共致注進候様子に候はゞ遠慮なく面々申合せ、番人 を不残打殺し申すべく候。若し右騒動起り候を承りながら疑惑致 し、駈参不申、又は遅参に及候はゞ、金持の米金は皆火中の灰に 相成り、天下の宝を取失ひ申べく候間、跡にて必ず我等を恨み、宝 を捨つる無道者と陰言を不致様可致候。其為一同へ触知らせ候。 尤も是迄地頭村方にある年貢等に拘はり候諸記録帳面等都て引破り かんがへ 焼捨申すべく候。是往々深き慮ある事にて人民を困苦致させ不申 さりながら 積に候。乍去此度の一挙、当朝平将門、明智光秀、漢土之劉裕、朱 金忠の謀反に類し候と申す者も、是非有之道理に候得共、我等一同 ○ 心中に天下国家を致簒盗候慾念より起り候事には更に無之、日 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 月星辰の神鑑に在る事にて、詰る処は湯武、漢高祖、明太祖民を訪 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ひ君を誅し候天討を執行ひ候誠心のみにて候。若し疑はしく覚え候 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ はゞ、我等が所業終る処を爾等眼を開いて看よ。 但し此書付小前の者は、道場坊主或医者等より篤と読聞かせ申す べく候。若し庄屋年寄眼前の禍を畏れ、己に隠し候はゞ追つて急 度其罪可行候。 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 奉天命致天討候。 天保八年酉 月 日 摂河泉播 庄屋年寄百姓竝小前百姓共へ
「大塩の乱関係論文集」目次