Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.1.13

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大塩の乱関係論文集目次


「主義の人、大塩平八郎」

その4

山上智海

『法華外伝』田辺書店 1920 所収


◇禁転載◇

ルビは、適宜採用しています。


                    トンキン  通貨大膨張の今日においてすら東京米の価格一升に付五十有余銭也      はごたへ は可なりの歯応を感じざるを得ないのです。――夢幻のやうな噺です けれども、元明天皇の時代には銅銭一文で米が六升買へたものです。 それから天文年間には一石が六匁三分五厘。天明元年には一石四十三                          しか 銭。寛政二年には二十九銭二厘。文化元年には五十銭。而して天保元 年には六十六銭八厘となり、それが四年、及び七年の凶作飢饉に遭う   まつたく て、真個殺人相場を呈せしめたのでした。    恁かるうちに天保第八年の春を迎へましたが、世間に極めて物淋し    うざう むざう く、有象無象おしなべて菜色に充ちてゐました。一月四日、淀屋にお ける初相場は、肥後米一石百五十一二匁。同八日、堂島にての初相場                  えびす は一石百五十九匁と云ふ所でした。初蛭子も賑かではあつたが、何分 にも盗賊の徘徊すること甚だしき為め、夜に入つて参詣するものが無 い。唯人々が打集へば、必ず諸色の高価なのと、盗賊の横行と、餓死 人や行倒者の噂ばかりであつたと申します。時しもあれ、仁孝天皇と       かしこ 仙洞法皇とは畏くも五穀成就を祈らせ給ひて次の如く遊ばされたので あります。       ぎよせい   仁孝天皇御製   雨にうき風に心を砕くかな        民の仕業のたゞ安かれと   仙洞法皇御製   わがために何を祈らん天つ神        民安かれと思ふばかりぞ        た      べか           とき  嗚呼義人の起たざる可らざる危急の秋は到来したのである!。大塩      中斎は、先づ農商の利を壟断せる俗吏を戒飾しました。そして私腹を のみ肥して惻隠の情なき富豪に警告を与へたのです。けれども彼等は てん 恬として省みなかつたのである!。  そし               なげう    いさゝ  乃て彼れは決然自家愛蔵の書籍全部擲ちて、些かたりとも貧民を賑       しよし さうと欲し、書肆河内屋吉兵衛、同喜兵衛、同十治郎、同茂兵衛の四                            づゝ 人に売却して、約四十貫の金子を得たので、之れを一人一朱宛施した のであります。其頃の落首の中に、   大塩が持つたる本を売り払ひ        ・・・        これぞむほんの始なりけり                      たとひ  されど、大塩平八郎の売書救済は焼石に水の譬喩に漏れなかつたの                                 です。彼れは全財産を擲ちました。渾身の血潮を絞りました。有らゆ     めぐら          いまし        けうしや る手段を運らして暴吏を警めました。嬌奢なる成金輩を覚醒せしめや うとしました。が全く其反響がなかつたのです。と申して、市民が苦 境に陥つて浮び難き悲惨なる状態を黙視されませぬ。で彼れは一代の    そゝ 心血を濺いで物したる大檄文をば、プロパガンダとして摂河泉播の村々 あまね へ普く撒布するに至りました。この檄文こそは、国士としての彼れが      じゆん 純乎として醇なる精神気魄の流露せるもので、尽未来際に光輝を放つ べき大文章なのであります。この大文章を識らずんば、以て彼れの真               あたか 骨頭に触れ難いのであります。恰も日蓮大聖人の立正安国論を読むが    あきもとせう            はたまた 如く、秋元鈔を読むが如く、将又承久御書を読むが如き悲壮の感に打              しばら たるる次第であります。依て且く其全文を次に抄録することに致しま せう。


「主義の人、大塩平八郎」目次/その3/その5

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