Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.5.25/5.26最新

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩の変」

その4

山根真治郎(1884−1952)
『黎明以前の群衆 』民友社 1920 より

◇禁転載◇

大塩は同志十四人と共に淡路町から火中をくゞつて八軒家に出で、そこから小舟に乗つて淀川を上下し、時の移るを待つた、夜に入つて順次九人の同志を落し、大塩父子、済之助、良左衛門、義左衛門の五人は東横堀から上陸して河内路に逃げた。

五人の内義左衛門は奈良で捕はれ、済之助は河内高安郡恩地村の山中にかくれてゐる処を百姓勢に追ひ立てられて縊死し、良左衛門は同国志紀郡田井中村で割腹し、大塩がそれを介錯したが、力及ばず頸を半断して了つた、良左衛門はこゝで死んで、残るは大塩父子となつた。

二人は髪を剃つて法体に姿を変へ、大和河内路をさ迷ふた末、二月二十四日の夜更けに大阪油掛町(今の靭下通二丁目)の美吉屋五郎兵衛方を叩き起し、裏手の小間にかくれて時機を待つた。

五郎兵衛は手拭地の仕入職で、上下十人ほどの家内であつた、予て大塩方に出入してゐたので、見るに見兼て匿まつてゐる内、偶と下女の口から露見して、三月二十七日の暁方、捕方は大塩の隠室を包囲した。

大塩は先づ火薬に火を点じ、次で格之助の胸を刺して殺し、捕方の跳り入るを眺め乍ら咽喉を突いて火中に俄破と倒れた、平八郎四十五、格之助二十七歳であつた。


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