おこなひ もとひ
節 仁と義は。 人の 行 の基なり。
なさけ ひ と めぐ
情は他人の為ならず。 廻り/\てわが身の為。
茲に大塩平八郎。 情の捌きの一席を。
記憶致せる筋道だけ。 読みたてまつる。
詞 大阪天満の与力大塩平八郎、順慶町の煙草屋、相摸屋へ賊が入つたと
いふ訴に依つて、早速手先きを連れて相摸屋へ出張、いろいろ賊の入つた
ま
形跡を調べて、一と先ず役宅へ引き取つたが、賊の仕事は中々巧妙で、少
てがゝり
しも証拠となるものがない為に、流石の平八郎もひどく苦心をした、相摸
かゝ
屋で盗難に罹つたといふのは、金子二百両及び将軍家へ献上すべき、上等
ありか
の煙草三函だ、何でも此の煙草から、賊の所在を探らねばならぬと考へた
から、平八郎、大阪市内を廻りながら、夫れとなく心を配つてゐた、然る
とほり
に或る日の事、政蔵と云ふ手先を連れ、市中を廻つて今、江戸堀の通路へ
たんもの うち
さしかゝつて来ると、一軒の反物屋があつて、此の家の土蔵の塗り代へと
つち
見え、大勢の左官、土こね共が立ち働ひてゐる、其の中に年齢五十七八歳
おやぢ かたわら しき
の老爺、傍の丸太へ腰を掛けて、頻りに煙草を吸ふてゐる、献上煙草の賊
そば
の事で苦心してゐる平八郎、フト煙草を吸ふてゐる、老爺の傍へ寄つて、
何気なしに其の匂ひを嗅いで見ると、労働者の老爺の、吸ふ品にしては勿
かほり
体ないほどの良い香の煙草だ。
うち まんま
節 さては怪しいと、心の中に平八郎。 思ひましたか其の儘。
一町ばかり行き過ぎて。 手先の政蔵を振り返り。
『政蔵。』
『へエ。』
あそこ つ
『今、彼所で、丸太へ腰をかけた土こねの老爺が吸ふてゐた煙草に気が注
いたか。』
いゝえ
『否』
し
『仕様がないな、手先でも為やうと云ふ男には、夫れ位の用心がなくては
たばこ にほひ しも/゛\
駄目だぞ、只今、あの老爺の用ゐてゐた莨の香を嗅いだ所、下賤の者の口
このあひだ
にすべき煙草でない、誠に香の高い良い煙草だ、若しかすると、先日の相
てがゝり かま
摸屋の一件の端緒でも得られるかも知れぬ、関はぬから貴様、あの老爺に
しやう
近づいて、今一度、煙草の性を確めてまゐれ。』
ござ
『へえ、宜しう厶います。』
わし
『では、私は番所へ帰つて待つてゐるから。』と、
まんま
節 手先の政蔵に委細を含め。 平八郎は其の儘。
番所へと帰られる。
詞 平八郎は番所で休憩しながら、暫時、待つてゐると、やがての事に政
蔵が大急ぎで帰つて来た。
ど
『何うした、政蔵。』
あなた そば
『大塩様、貴所の仰る通りで厶います、あれから、私はあの老爺の側へ行
つて、旨く胡麻化して、此の通り少しあの煙草を盗んで参りました。』
ひど どろぼう あ げ ● ●
『酷ひ事をするな、盗賊を検挙る手先が盗賊をするといふのはちと可笑し
いな、まア良い、其れへ出して見せろ。』
政蔵が袂の底から取り出す煙草、平八郎かねて、手掛として相摸屋から
すこし おほひ
持つて来てある煙草と飲み比べてみると、少も相違ぬので、大に喜んだ。
たしか あ あ げ
『政蔵、確に、彼の老爺は怪しい、行つて検挙て来い。』
かしこ
『畏まりました。』
と此れから、政蔵、手先を二人連れて江戸堀へ来た、もう、日の暮で、
しま しばらく か
左官達も仕事を終つてゐる所、暫時、物蔭で様子を見てゐると、彼の老爺
も仕事を片附けて、道具箱を肩にして帰り出した。
『其れツ。』
と云ふので、三人が、四つ辻の所に待ちうけてゐて、其処へ来かゝつた
いきなり
彼の老爺を、突然右左から腕を取つて、捻ぢ上げやうとしたが、腕に覚え
のある奴と見えて、右から掛つて来た手先の胸板をポンと突いて、左の手
うしろ ● ●
先を払はうとした途端に、背後からヤツと云つて政蔵が組み附いて羽掻絞
としより しばらく
め、流石、老年の事ですから、前後に三人の敵をうけては叶はない、寸時
いど
挑み合つてゐたが、遂に三人の手先で、老爺に縄を打つて了つた。
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