『立てツ。』
と三人、左右に附き添つて、引き立てゝ来た平八郎の会所、待ち設けて
しらべ
ゐた設けてゐた平八郎、直ぐに、調査に取り掛る。
『コレ、老爺、前へ出ろ。』
おやぢ
云はれて、不承不承、前へ出る老爺、ジツと平八郎が其の人相を見た。
おのづ
人間は大抵善人か悪人が人相で知れると云ふ。即ち思ひ内にあれば、色自
から外に現はれるものと見えます、平八郎、よく見ると、
かみ
『コレ老爺、仔細あつて少しく取調べる、神妙に返事を致せ、上を偽るに
いづ すまゐ
於ては、其の方の為にならんぞ、当時何れに住居致し、名は何と申すか?』
たなこ
『ヘエ、私は、靭仲通り家主嘉兵衛店子庄兵衛と申します。』
『何歳ぢや。』
『ヘエ、六十一歳になります。』
『其方は、ズツと以前から大坂に住んでゐるか。』
と いや ござ
『はい、以前は諸国を流浪致しましたが、年老つてからは旅も嫌で厶いま
すまゐ
すから、三年前から大坂に住居致します。』
『左様か、コレ庄兵衛とやら、此の煙草入は其方のものであらうの。』
『ヘエ、私の煙草入で、腰にさして居りましたのを、最前手先の方々が無
理にお取り上げになりました、私は何の罪があつて、かように手荒い目に
会います事かと悲しくなりました次第で………此の年になりますが、正直
一遍の世渡り、まだ曲つた事は毛筋ほども致した事は厶いません。其れを
此のやうにお引き立てになりましたのは、何ういふわけで厶いませう。』
と。
節 態と声を曇らせて。 誠しやかに述べ立てる。
太い奴めと大塩は。 心の中に嘲笑ひ。
『コレ、庄兵衛、其の方に縄かけたは余の儀でない、其方は去る十三日の
夜、順慶町煙草屋相摸屋方へ忍び込み、金二百両、及び将軍家へ献上すべ
たばこ
き、薩摩の特製の葉莨三函盗み出した覚えがあらう、有体に白状致せツ。』
か
と問ひ詰められた時に、彼の老爺。
そらうすぶ
節 色をも変へず、冷然と。 空嘯いて横眼でジロリ。
平八郎の顔打ち見やり。
ちかごろ か ね
『此れは、又、近来、迷惑なお尋ねで厶ります。私は賊を働くの、金子を
と
奪るのと、其のやうな太い曲つた了見は持ちません、はい、六十歳になる
此の年まで、曲つた事は露ほども身に覚え厶りません、お疑ひは御無体か
と存じます。』
『然らば尋ねる、此の煙草入の煙草は何処で求めた。』
よみせ
『ハイ、夫れは、道頓堀の露店で求めました。』
わ か う そ
『飽くまで、太い奴、分明り切つた虚言を並べる』
おほい
と、大塩、心の中で大に立腹したが、名判官と聞えを取る位の人だから、
こいつ とて らち あ
色には出さん、此奴尋常に調べては迚も埒が開くまい、人の性はもと善な
い か こつち
るものと云ふから、如何な悪党でも此方から、慈悲を施し、情を掛けてお
う そ つ にく
いて尋問すれば、人情として、虚言も吐き悪くなるだらうと、其処は流石
に才智のある人だから、考へ附いた。
『左様か、然らば、其の方、飽くまでも相摸屋へ忍び入つた覚えないと申
すのぢやな。』
おそ なが おぼえ
『ヘエ、乍れ偵ら何程お調べになりましても、身に記憶のない事、何処ま
け ふ
でも存知ません、六十になります今日迄、曲つた事は露ほども………』
わ か
『あゝ良い、宜い、了解つた、此れ老爺の縄を解いてやれ。』
『ハツ、解きましても差支へは………』
かま
『関わぬ、解いてやれ。』
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