おやぢ
老爺、心の中で喜んだ、手先が近よつて、縄を解いてやる。
『お役人様、何故、縄をお解きになりました。』
いひわけ もつとも
『其方の弁解、一応 尤 だからぢや。』
『では、此の儘お許し下さりますか。』
いや
『否、まださうはならぬぞ、仮にも天下の役人、縄打つて連れ来つたる罪
人、証拠不十分にして云ひわけ十分に相立たぬ上は、放免するわけにはゆ
としより ことゆゑ
かぬ、其方も老年の事故、さぞ苦しい事と思ふから、縄だけは許す、今少
きさま ゆる
し辛抱致せ、汝の無実が晴れた時は免し遣わすから、其方、最前、何歳と
か申したのう。』
ござ
『六十一歳に厶ります。』
としとつ
『さて/\、老年て縄目の耻、其方、誠に罪なきものとすれば役目とは云
わし
ひながら、不憫な事を致す事になるわい、此れ老爺、必ず此の俺を恨んで
と し ち ゝ も し
呉れるなよ、拙者にも其の方と同じ年齢頃の老父が一人ある、万一、父が
こ いさゝ いかゞ そち
斯の通り、聊かの疑ひの為、縄附きになつたらば、如何であらうかと、汝
の身に引き比べて、思はず愚痴な心持になつた、コレ誰か此老爺に、手当
を致し遣わせ、まだ夕食も済まぬのであらうから、コレ老爺、欲しいもの
があれば、遠慮なく申せ、役目は役目として、此の方一量見で宛がつて遣
わすから。』
と、
節 名智の大塩平八郎。 人情、義理の責め道具。
か
用ゐて白状させんものと。 いたわりよすれば彼の老爺。
かしら うつむ
詞 流石に、少し頭を下げ、低首いてゐる様子、眺めた大塩。
節 仕てやつたりと心の中。
『然し庄兵衛とやら、悪盛んなる時は、天道是れに勝たず、人定まつて天
のが
悪を制すといふ事がある、天命と云ふものは、遁れられぬものぢや、天網
は粗なれども、洩らさずと云ふ事がある、が、其方、知つておるか、先刻
たとへ
から尋ね問へども、身に覚えがないと云ふが、仮令、其方が如何ように隠
すとも、末には、遂に現われる、大丈夫だらう、まだ露見は為まいと思つ
たとへ
て、度々悪い事をしてゐたら、世の諺にも云ふ通り』
あこぎ
節 隠すより現るゝは無し。 阿漕が浦に曳く網も。
度重なれば、現はれにけり。
とても をふ
『到底、隠し了せる者ではない、此処の道理を聞き分けて、是れ、親爺、
い つ てかず
其方身に覚へあらば、白状致せ、何時までも、お上にお手数をかけ、意地
を張るばかりが男ではあるまい、其れとも、飽くまで、剛情を張らば、拙
者も役目の手前、拷問、責め道具を用ゐても白状させんければならんが、
さきほど としより
先刻も云ふ通り、拙者にも一人の老父がある、其方の身に思ひ比べ、他人
のやうな気はせぬ、如何にも責め道具を使ふに忍びん、コレ、老爺、拙者
もと
の申す事、会得致したなら、白状いたし呉れい、人の性は元善と云ふ、其
方に一片の善心があらば、考へ直して呉れぬか、コレ老爺、拙者が頼みぢや。』
と、
こなた
節 涙を含み、情の説諭。 聞いた此方の庄兵衛が。
思はずハラ/\玉の露。
わ け わ か あなた
『アゝ、お前さんは、誠に道理の了解つた人だ、貴人見たいな立派
な方の手に掛つて、調べられたのは、悪党冥利、恐れ入りました、白状致
します。』
節 悪に、強いは善にも強い。 さしもの老爺も本心に。
はつきり
立ち返つたか、明白と。 云はれて大塩喜んだ。
『白状致すと申すのか。』
『恐れ乍ら、お役人様が手を下げて、白状致しくれぬかとのお頼み、何で
どうぞ
包み隠し致しませう、何卒お縄を頂戴致したい。』
うしろ
と悪びれもせず、かの老爺、背後へ手を廻す。
としより ● ● ● ●
『神妙ぢや、縄打て、老年ぢや腰縄にして、いたわつて遣わせ。』
掛りの者が腰縄を打つ、
詞 茲に初めつ彼の老爺。 相摸屋へ忍び込んだ一條から。
此れまて゜の悪事の顛末を。 残らず白状致しまする。
さば
名智の大塩、情けの捌き。 此れに預かる次第なり。
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