Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.11.7

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大塩の乱関係論文集目次


「御 番 所 の 事」

吉井良秀 

『老の思ひ出 一名西宮昔噺』
吉井良秀刊 1928 より


禁転載

適宜改行しています。


○御番所の事

吉井良秀 述
男 太郎 校

維新前西宮の行政は町方と浜方と二つに分れて有つて、庄屋が各一人、年寄は各二人、若くは三人、次に年行司や組頭が置かれて有つた、惣会所が有つて庄屋が総轄し、年寄は自宅でも事務を扱ふて居た、人別即戸籍杯は年寄が管して居た、

此庄屋や、年寄に成るには家柄が定まつて有つて、其家を町出(ちやうで)と云ふた、何人を問はず、其役に当る事は出来ない例で有る、是は我西宮に限らず大凡何の町村でも同じ事で有るのでは有るが、其町に何代も住んで少しく財産の豊かに成つた人は其株を買ふ事が出来た、

監督官庁に御番所と云ふが有つて古く倉開地に置かれて有つた、南面した立派な長屋門で、西と南に堀を設け、土堤には並松が植られて有つた、

長屋門を入ると栗石を敷詰めた庭で、正面に玄関が有り、脇に受附のやうなのが有り、庭上の左右には、鉄棒や、差股(さすまた)や、槍や、色々な警備の具が並べられて、玄関には弓矢や、鉄砲が陳列して有つた、子供心に恐ろしい所だと思ふた、

此所には大阪奉行所から与力が一人交代で詰て居り、居附の同心が三軒有つて是は同構内の東寄りの地に別に三軒竝んで有つて、家族も居住して居た、普通の行政や警察は此番所で扱ふたので有る、番太(ばんた)や、猿など云ふ輩が幾人も出入した、

今から思ふと与力や同心輩でも随分と威張り散らしたもので有る、公用で出張する時は番太が先駆して、ホーハァ、ホーハァと連呼して大道を闊歩した事と記憶して居る、

明治元年正月に幕府が無くなつたと同時に退散して跡は兵庫県の出張所に成つた、伊藤俊助(後の博文)さんが馬に乗つて時々出張して来て、西宮の庄屋年寄が苗字帯刀を許されて俄に両刀を帯て暫く出勤した事が有つて之も乗馬を飼ふて意気揚々で有つた




石崎東国『大塩平八郎伝』その19


参考サイト
特別展「西宮古地図大観」によせて」(西宮市立郷土資料館 on the web内)


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