■21世紀初頭の日本の軍事力

■2007年4月 日本軍編成表

 行政組織:兵部省(東京・市ヶ谷)
 兵部省本庁:東京・市ヶ谷
 統合参謀本部:東京・六本木
 統合防空司令部:長野・松代(Jノーラッド)

 定数:35万人(実数34万人)
 即応予備役5万人・予備役10万人

概要と日本の核戦力

海軍

空軍

陸軍

備考・装備・資料

■中央組織

●兵部省及び統合参謀本部直属
 兵部省(本庁:東京・市ヶ谷)、統合参謀本部(東京・六本木)、統合防空司令部(長野・松代)など軍の中枢部が任地となる事が多い。
 主に全軍に対する司令部機能を持ち、また各種事務処理などを行う。構成人員は、形式上三軍より派遣されている形になる。
 なお、軍人(制服組)と官僚(兵部省所属・背広組)は共に公務員であるが、共に軍人として区分される。

●情報本部
 各種情報を扱う日本最大の情報機関。
 兵部省と統合参謀本部に組織の中枢がある。
 兵部省では全体の統括を行い、統合参謀本部では日本各地にある電波情報収集施設と衛星情報を運用する。約4000名の人員を擁する。


 

●概要
 日本の国防は、最北端の千島列島に始まり、赤道に接する南洋諸島に至る広大な地域を防衛しなければならない。また、東西冷戦中は、南樺太・オホーツク海方面及び日本海で最有力の仮想敵だったソビエト連邦(現ロシア)と直接国境を接していることもあり、必然的に大きな軍事力を保持する必要があった。
 しかも、西側最前線の一つとされる満州地域の後方拠点としての役割も強く期待されており、冷戦中はアメリカ軍の空海軍力もいくつか駐留するほどだった。
 そして、北東アジア、西太平洋全域でのプレゼンス確保のため、高い機動力と柔軟性を合わせ持った海軍力整備に力点が置かれている。このため、陸軍、空軍が防衛軍としての性格が強い点と対照をなしている。
 また、アメリカの最も頼りとなる東アジア同盟国としての地位を、戦後半世紀以上保ち続けている。
 このため、日本が経済発展して相応の軍事力を保持するようになった1970年代以降、東アジアの広域防衛負担も日本がその多くを担うようになる。その象徴が、今日においてもアメリカしか保有しない大型の攻撃空母を、常に3隻も保有する点になる。
 また陸軍と空軍は、規模はともかく防衛軍としての質は西側トップクラスとされ、現在もその評価に変化はない。
 そして、キューバ危機に端を発し、独自の核戦力を保持している点も、地域大国としての軍事力に大きな貢献をしている。
 なお、近年はPKO、PKF増大に伴う海外派兵と、北中国(中間人民共和国)に対する配置変更が行われ、韓国の国粋主義からくる反日傾向がこれに拍車をかけている。

 ※戦後日本の安全保障
 第二次世界大戦後、講和条約に従いアメリカ合衆国を中心とする連合国の厳しい監視のもと日本の軍縮が断行される。アジア、太平洋で大きな脅威を与えた日本軍を、連合国が恐れていたのが主な原因だ。
 日本軍は、連合国の干渉により一時期解体の寸前にまで追いやられるほど衰退するが、アメリカ合衆国とソヴィエト連邦を中心とするイデオロギー対立の激化、いわゆる冷戦構造の出現により変化する。
 1950年の「中華戦争」勃発に連動して「日米安全保障条約」が締結され、日本軍自身も徴兵制の復活など再編成が進められる。
 その後、中華戦争停戦による中国分裂と東西対立のアジアでの激化に伴い、アメリカとアジア各国の安全保障条約を統合した「東アジア条約機構(EATO)」が成立する。
 EATOは今日においても組織を拡大しつつ存続しており、アメリカを中心とする東アジア安全保障の中核となっている。
 いっぽう、キューバ危機に代表される核戦争の危機に直面した日本は、最初は独自で核軍備を行おうとするがアメリカが中心になって強く反対して適わなかった。だが、ベトナム戦争で窮地に立つアメリカの足下を見るようにして、アメリカの監視を受けるという形でアメリカから技術供与を受けて独自の核軍備を整備した。
 以後日本は、地域覇権国家としての軍事力整備に力を注ぎ、東アジアで最も重要な位置を占めている。

●戦後日本の兵器
 第二次世界大戦を土俵際で持ちこたえた日本軍だったが、講和条約に従い徹底した軍縮と改変を迫られる。装備についても同様で、しかも海軍艦艇については保有数の三分の一が賠償として諸外国に引き渡された。
 また、アメリカが声高に主張した軍需産業の解体もかなりの規模で行われたため、戦後しばらくは兵器の独自開発と装備は諦めなくてはならなかった。
 いっぽうでアメリカから大量の中古兵器が供与され、戦後日本軍の装備面での中核を占めるようになる。この流れは、中華戦争、ベトナム戦争でも継続され、兵器の多くはアメリカ製の同盟価格(格安価格)での輸入もしくはアメリカ製兵器のライセンス生産となった。
 しかし、日本独自の軍需産業の復活も中華戦争の頃から急速に進められ、艦艇の全ては早くから全て国産となっている。ほかの兵器も、航空機や戦車など高度な技術を要する兵器の国産が精力的に進められた。後には国内需要以外にも輸出産業としての需要が加わって、高度成長終了以後兵器産業は大きく拡大する。
 主な輸出兵器は、航空機と軽装甲車両、そして各種艦艇になる。日本製兵器は、技術国家日本という面と感情的親日感情により世界中からの注文は引きも切らない。
 また航空兵器に連動する形で、旅客機を始めとする航空産業や兵器関連産業を含めた輸出額は相当な金額にのぼり、日本の輸出産業の重要な一角を占めている。

●日本軍の兵員数と徴兵
 戦後からしばらくは、連合国の厳しい監視により一方的な兵員数の削減が断行される。しかも軍縮の過程で、徴兵制は廃止され完全志願制となっていた。
 1946年度の軍人総数は、陸海(空)軍を合わせて約20万人。陸軍の半数程度が国境警備に就いている以外、装備の保守管理能力すらないほど能力が低下していた。一時は、将校と下士官ばかりで兵隊がいない軍隊とすら言われた。この事は、46年度に新規の士官募集を行わなかった点からも見て取れる。
 その後、軍への志願者そのものは食い詰め者の志願が多く不足しなかったが、連合国の監視と干渉により国防と国内保安に必要と認められた約2万人の増加に留まっていた。
 しかし中華戦争に端を発した東西対立激化で、51年度より徴兵制が一部が復活して軍の再編成が急速に進む。
 徴兵制復活時、志願者は2年勤務、徴兵甲種・乙種の徴兵者は1年勤務とされた。また18才の時に、全ての青年男子は徴兵検査が義務づけられた。
 検査の結果、甲種は歩兵など前線勤務、乙種は後方勤務とされた。女性は当初、医療・通信と後方勤務の志願者のみとされた。
 志願者は、給与面、軍での進路面などで優遇されていた。また、大学院まで進んだ者や教師、乙種以下の判定となった者は徴兵免除になった(軍属、技術士官としての徴用と志願は別)。
 徴兵の結果、1952年の軍人数は戦前の平時の二倍近い約52万人にまで増加した。だが、日本全体の人口増加もあって、軍人の数は200人に一人ぐらいにまで比率が下がった。また志願者もかなりの数にのぼった事から、戦時中のように全ての者を徴兵する事はなかった。
 けっきょく、志願者、将校を除く徴兵者の数は概ね20〜25万人ほどで、徴兵検査後も実際徴兵される成年男子は数人に一人という程度だった。制度的には、選抜徴兵制と言える。しかも既婚者は最初から徴兵免除とされ、他にも免除項目がいくつかある。さらに技術者や各種職人は継続した経験が特に必要と理解され、暗に免除される傾向が強かったと言われる。
 徴兵がやや厳しくなったのはベトナム戦争の頃で、軍人の総数は予備役の一部動員もあって、総数で60万人近くに達した年度もあった。
 一九七四年には、核軍備整備を理由として軍組織と徴兵制改訂される。成年男子は、1年の徴兵か奉仕活動(軍務以外の準奉仕活動)の選択肢が広がる。この制度は、18才〜25才までの間に1年間の奉仕活動を行えば、徴兵は完全免除となる制度で、他のものは従来同様徴兵の可能性が残されていた。もっとも実際は、安価な労働力を企業側が欲したという理由が大きいとされる。加えて、徴兵された方が就職に有利になるという政府の指導もあり、二人に一人ほどが奉仕活動に従事しするに止まっている。
 なお制度改定により、女性将校及び女性の上級士官の道も広く開かれた。翌年からは、国防大学の入学も認めらるようになる。
 そして冷戦崩壊後の一九九二年度から、陸軍の大幅削減にともない完全志願制となる。
 軍人数そのものは、54年に52万人体制(うち陸軍28万)が作られる。その後七四年に45万人(うち陸軍24万)。そして冷戦崩壊後は志願者のみで39万人体制(実数35万人。うち陸軍20万)となった。
 さらに21世紀初頭に組織改編が行われ、陸軍を中心に兵員数が削減され、35万人体制(実数33万人)へと移行している。
 なお、志願制下においても比較的多い兵員が軍に属しているのは、それまでの徴兵の習慣が国民の間に残っており志願率が比較的高いため。特に地方において志願率が高い。また、1990年代後半に軍志願者に対して移民者の市民権取得制度が弛められてから、移民による志願も増えている。この点は、アメリカに近いと言える。
 また、七四年の徴兵制改定以後、軍の宣伝もあって女性の志願率が年を経るごとに上昇している。これは、軍人は全て規格化されるという性格上男女平等が進んでいるからで、特に地方での人気は高い。また機械化・デジタル化による重労働軽減の効果も大きい。数年以内には、女性の統合参謀長も出現すると言われている。

●日本軍の将校教育
 日本の将校教育は、日本軍国防大学(通称:国防大学もしくは防大)、一般大学、一般下士官を経て各種士官学校で教育を受けるようになっている。中心になるのは、やはり国防大学だ。
 国防大学は、1947年に憲法改定と軍の再編成を受けて開校される。学校は横浜県横須賀市にあり、三軍全ての士官候補生を育成する機関となる。
 士官候補生(学生)は、15才〜20才までの間に試験を受けて入校し、四年間に大学生教育と将校としての基礎教育の双方を受ける。
 在学中は、全寮制の集団教育が施され、多くの専門教育と身体の鍛錬を受ける。このため、通常の大学に比べて単位数が多く、他にも礼儀作法なども教わる。大学卒業後は、自動的に同様に各軍の士官学校へ入学する。
 軍という特殊な組織の性格上、学生は男性が過半数となり、学生数は一学年約800名。2000年代の平均的な男女比率は、女性が約15%になる。大学として見た場合、非常に小規模で教育程度も各帝大並と高いため、入学試験の競争率は非常に高い。
 卒業後は、身体上の問題など特別な理由がない限り、それぞれ士官学校に入学して後、4年間の現役兵と同年数の予備役兵の義務を負う。それでもエリートとしての評価が高いため、現役終了後は企業からの引き抜きが多い。
 また一般大学生は、幹部候補生用の授業を受講し(1年当たり8単位・合計32単位(240時間))、その後士官学校に入学すれば、全ての兵科の将校になる道がつくられた。そして冷戦時代の間は就職にも有利とされ、徴兵されるよりはと士官学校の試験を受ける者も多かった。
 徴兵制解除後も、大学のみでの受講生は単位取得が容易なため多かったが、士官学校まで進む者は少数派となっている。
 なお、一般大学生から士官になった者は、2年間の現役兵と8年間の予備役の義務を負う。現役の間は、企業も学生扱いとした。そして軍の側としては、有事の際に動員して兵站や警備など後方勤務を任せる積もりだった。

 士官学校は陸海空それぞれに存在し、中でも江田島にある海軍士官学校が世界三大海軍士官学校として有名である。
 最短20才で入校できるが、22〜26才での入校が一般的。
 国防大学、兵卒あがり、一般大学の三通りの入学者があるが、国防大学出以外の枠は限られ狭き門をくぐるための試験も存在する。
 士官学校は半年から一年間在学し、卒業すぐもしくは半年の実習教育でそれぞれ少尉に任官する。例外は各種パイロットで、専門教育期間が他に比べて長くなる。

 なお、旧軍にあった海軍大学、陸軍大学も、軍大学校として統合されている。
 しかし旧軍のように画一的な参謀教育やエリートの関門とはされていない。高度な教育が施される事に変わりないが、一般企業の管理職になるための制度に近いものがある。

 ※戦後日本の学制
 戦後、アメリカから導入された学制に大幅改革される。それまでの複雑だった学制は、いわゆる「6・3・3制度」に統合され、高専などの例外を除いて、これに大学など高等教育が加わる。ただし中華戦争以後、義務教育内で国家のエリート育成の観点から特別進級制度(特進制度)が復活した。特進制度は、義務教育の間の小学校1年(小学五年時)、中学1年(中学二年時)の合計2年間の特別進級が適正試験によって行われる。特進は私立の高校にも適用されており、特進が否定されているのは、公立高校においてのみとなる。ただし士官学校への入学は、最短で16才から可能とされている。
 また大学では、戦前の教育制度に対する反省から、単純な暗記型の学術教育よりも専門教育の傾向が強い学校が多い。また特進制度も適用されており、四年制以上の場合(大学院進学含む)、適時教育期間の短縮が可能とされている。このため日本でも、二十歳までに「博士」となる道が細いながらも開かれている。
 近年、平等教育などの考え方の広まりにより特進制度への批判も大きいが、官民軍全てから制度維持の声が強いため制度そのものは継続されている。
 なお、特進制度によって受験競争の過熱や幼少期からの教育熱の上昇など貧富の差による教育レベルの格差など問題も起きているのは事実である。

●日本の核戦力
 日本は、沖縄の嘉手納に原爆を落とされたという経験を持つため、核兵器に対してはナーバスだった。
 だが日本政府は、キューバ危機を受けて独自の核軍備を決意する。当初はアメリカから強く反対されていたが、世界情勢の変化もあって、ベトナム戦争への積極的参加を条件にアメリカから技術供与を受ける。
 1967年に原爆実験が成功し、日本は核兵器保有宣言する。
 弾頭と関連装備は海軍と空軍が運用し、潜水艦発射型弾道弾が常に唯一の戦略核とされた。その後、航空機搭載型の核弾頭は巡航ミサイルへの搭載に変更され、冷戦の終幕を迎える。
 冷戦崩壊後は、弾頭数は制限条約により600発と規定されている。保有する弾頭のほとんどは戦略的に用いられる大威力弾頭。搭載方法についての制限は米露に準じている。
 また発見率低下のためと、有事の際の国土被害を軽減するため、海軍艦艇にのみ配備されている。しかしその管理は統合参謀本部直轄で、海軍は艦の運用のみが任されている形になる。
 なお、核兵器関連施設が、北海道や千島列島、硫黄島など離島や人口密度の低い場所を中心に存在する。このため、南洋諸島のどこかに軍の「秘密基地」が存在するという噂がよく聞かれる。

・配備方法(装備)
 ・戦略原子力潜水艦:6隻
(1隻あたり16発の多弾頭弾(トライデントD型)。弾頭数合計576発が上限)
 ・巡航ミサイル(トマホーク(対地型))
 ・攻撃空母(航空機搭載)
 ・攻撃型原潜
(※搭載艦艇は特定されていないが、巡航ミサイルは主に攻撃型原潜に搭載されていると見られている。)