一一〇 父母の心を以て心と為さざれば、則ち孝と謂
ふべからざるなり。何に於てか尤も之を見る、夫婦
●だいそく
の事に於てか尤も之を見る。内則に曰く、「子甚だ
●よろこ い
其の妻に宜しきも、父母説ばざれば出だす。子其の
妻に宜しからざるも、父母これよく我れに事ふと曰
はば、子夫婦の礼を行ひ、身を没するまで衰へず」
たれ
と。父母の心を以て心と為す者にあらずば、孰かよ
かやく けう
く真に之をなさんや。吾が弟子今此の家厄あり、教
ゆ
喩するに斯の義を以てす。幸にして聴いて曰く、其
の礼を行ひ、身を没するまで衰へざらんと。鳴呼、
ふ ●ち か
実に其言を践まば、則ち庶幾し。故に之を記して以
●
て門に及ぶの人に示す。
不 以 父母之心 為 心、則不 可 謂 孝也、於 何尤
見 之、於 夫婦之事 尤見 之、内則曰、「子甚宜
其妻 、父母不 説、出、子不 宜 其妻 、父母曰
是善事 我、子行 夫婦之礼 焉、没 身不 衰」、非
以 父母之心 為 心者 、孰能真為 之哉、吾弟子今
有 此家厄 、教喩以 斯義 、幸而聴曰、行 其礼
焉、没 身不 衰、鳴呼、実践 其言 、則庶幾焉、
故記 之以示 及 門之人 、
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●内則。礼記に
内則篇あり。
●妻が父母の気
にいらなければ
離縁するの意。
●庶幾し。孝に
近しとの意。
●門に及ぶ。門
下に在る人。 |