Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.3.24

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


「梅非凡」

その3

足立栗園 1912.5

『陽明学 第43号』陽明学会 所収

◇禁転載◇

   管理人註
   

 是から本題に這入ります。梅非凡、是は妙な題と思はれるかも知れま せぬが、是れは斯う云ふことから抽き出して来たのであります、アノ大 塩平八郎の騒動を幕府の方で書いて居る写本に梅匪凡といふのがありま す。上野の図書館には如何でせうか、私は徳川侯爵の経営になつて居る 南葵文庫で見たことがあります。それは梅匪凡と書いてある、此書物、 何でこんなことを書いて居るかといふに、かの壮挙は、大阪でやつたこ とである。大阪は浪華津に咲くや此花冬籠.今を春辺と咲くや此花、と、 此花と云ふのは梅である、其梅の所が悪い事をしたあの凡人と云ふ意味 でありませう。 ところが私は之を決して悪い凡人とは思はぬ。社会民衆を思ふ赤誠に出 た壮挙で、実に非凡なことをしたものと思ふ。そこで匚を取つてしまつ て、非凡としたのであります。非凡も非凡、実に快挙であつて、浪花津 に咲ける梅の非凡であると言ひたいのである。 大塩先生の学説を紹介する程の時間もありませぬし、又学力もありませ ぬが、洗心洞箚記などを見ますと、自分ながら勇気が出るやうでありま す、諸君は定めてあゝ云ふ書物を愛読して居らるゝと思ひますが、アノ やうな書物を見て居ると、自分の心が刺激を受けて愉快を感ずる、而し て事に臨んで狼狽しない素を養ふことが出来る。 試みに、アノ人の学説の、理論的方面と云ふものを究めて見ますと、御 話は沢山ございますが、第一番が大虚と云ふことを言ふて居ります。第 二番が良知を致す、三が気質変化、四が死生を一にする、それから五が 虚偽を去るといふのであります。つまり先生の理論方面は此五に括るこ とが出来る、 此大虚と云ふことが面白い、吾々は宇宙間に於ける小ツぽけな人間であ ると思ふと、甚だ価値ないもので、気が滅入つて仕舞ふけれども、此の 天地に滂湃たる大気は、一小天地たる吾人の方寸の中に存して居るので あつて、我臍下の一寸四方の中に、此大なる大虚を蔵して居る、斯う思 ひましたらばどうでありますか、如何に大なる人物にといふ思ひがする か、私はこゝ等の点が陽明学の好きな所であります。詰り我精紳たるや、 発しては天地を動かす力である、此精神を養ふことが大に必要なことで ある、 それから極略して、更に大塩先生の実行的方面を数へ上げて見ますと、 第一が知行合一、それから致知格物、第三が天命を知る、吾人は天命を 知ることが必要であります。吾人、大に貧乏はして居るけれども、出来 るだけ自分の貴任を尽すのは何故であるかと云ふと、これが即ち天命で あると知るからである、見よ、孔子さんは立派な人であつたけれども、 其一生涯は実に貧乏であつたが、然しあれだけの名を千歳に遺されたの は、天命といふことを知つて、自己職責を尽されたからである。して見 ると、吾人は衣食住の事などは第二にして、さて吾々は何を為すべきか と云ふことを捉へなければならぬ。 それから第四が、先刻工藤先生の御話のありました通り、独を慎ん己に 克つ、之がむづかしい、それから五番目が、人欲を去つて天理を存ず、 人に欲と云ふものがあつて、欲に迷ふから、人の足が浮いて顛んでしま ふ。其人欲を去つて天理を存することが必要であります。 実行の方面は、先づ此の五つに括ることが出来るのであります。此等の 精神が満ちて居つたればこそ、あゝ云ふ快挙が出来たのであります。 大塩先生はアノ勤王の精神を鼓舞した頼山陽と肝胆相照して、京都と大 阪の間を屡々往来して、文雅の上の友達であつた、殊に江戸の聖堂の佐 藤一斎先生、此聖堂と云ふものは、朱子学で固めしものでございますけ れども、一斎先生は、陽明をも用ゐられて、陽明と朱子とを一緒にして、 陽朱陰王の学などいはれて居る。一斎先生と大塩先生とは、書状の往復 をして居られる、之ぞ虚偽のない、安全なる精神が互に許したものであ ると思ひます。

滂湃(ほうはい)
物事が盛んな勢
いでもりあがる
さま


「梅非凡」目次/その2/その4

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ