Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.3.25

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「大塩の乱関係論文集」目次


「梅非凡」

その4

足立栗園 1912.5

『陽明学 第43号』陽明学会 所収

◇禁転載◇

   管理人註
   

 そこでこれから転して、少しばかり此梅非凡の御話をして見たい、是 は大塩の悪口が沢山書いてありまして、迚も一度で御話は出来ませぬが、 中に面白いことがあります。 大塩平八郎が天保八年の二月十九日のあの飢僅の時に、コリヤどうして も早く貧民を救はなければならぬ。それを当局者が承知しないといふの で、大に怒つて騒動を起した、あの時大塩先生が三井鴻池、あゝ云ふ富 豪の住宅に向つて砲撃を加へた、其時の勢がすさましいものであります から、幕府の方では驚いて、之を鎮撫せんと、尼ケ崎から兵隊を繰り出 した、けれども大塩が怖いので、些とも手を出さない、兵糧がドツサリ あるから、外の方から兵糧を分けて貰ひたいと云ふことを掛合つたが、 宜しうございます、と請合つたのみで、大塩の砲撃を恐れて、少しも送 らぬ、そこで片方では催促するにも工合が悪いといふので、お茶が出来 ましたから、あがりにいらつしやいませぬかと云ふことを申遣はした、 之は兵糧を送つて貰いたい謎でありました、そこで始めて他の陣所へ兵 糧を送つたと云ふことであります。 昔より上方の子供の歌に、「向ふのばゞさん茶々飲みにおいでんか、鬼 が怖ふてよう参じませぬ」と云ふのがある、それを当時の好事家がもじ つて「向ふの尼チャン茶々飲みにおいでんか、大塩が怖うてよう参じま せぬ、鉄砲かたげてヤツシツシ」、大塩の力が如何に強かつたかと云ふ ことが、之で分る。さう云ふことが書いてあります。 それから其時に落首と云ふものがあります、例の悪口の狂歌であります 。狂歌で大塩の悪口を言つた、斯う云ふのであります、大塩は、貧民を 救ひたいために、自分のあらゆる書物を売つて、其費用に変へて救ふた、 「大塩が 施行をすとて 本売つて 遂にムホンと なりにけるかな」、 もう一つ面白いのは、斯う云ふことを言つた、「浪華がた あしき噂は  消ゆれども 引いて行衛の 知れぬ大塩」、もう一つあります「朝飯の 茶粥の中に 混ぜかへし、ヱライ辛き目 見せし大塩」、 それからもう一つ滑稽な話があります。笑ひ話でありますが、大塩平八 郎、与力同心に追はれて迯げた、さうして淡路町の方へ落ちのびて、高 津ノ宮へ迯げ込んだ、さうしてそこへ御籠りをして、身を隠して居つた。 神前に額いて、どうか吾々が貧民の為に尽したことを、神も憫れみ給ふ ならば、命を助けて貰ひたい、嘘の話だけれども、斯う云ふことを言ふ た、ところが俄に神前の扉が開いて、ケダケキ御声にて、「高き家に上 りて見れば煙立つ」と仁徳天皇の御製を御よみになつた。大塩がそこで 「民の竈は賑ひにけり」と申上げた、所が次に何か御答が出るだらうと 思ふと何もない、そこで再び「民の竈は賑ひにけり」といふと、俄かに 鳴動して、怒りの御声高く「汝又下の句(苦)を重ぬるか」云々、斯う 云ふことを書いた面白い書物があります。

   


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