Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.3.7

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大塩の乱関係史料集目次


「丁 酉 日 録 (抄)」 その10

藤田東湖

『東湖全集』博文館 1909 より


◇禁転載◇

廿七日 陰東北風管理人註

この日は君公伝通院へならせ玉ふにぞ、登殿するにも及ばされ共、昨 日今日、両日出仕せでは、公事いと弁しかたきこともあらんと登殿、 午後退出、申時ごろ迄閑居せしに、中奥坊主宗悦あわたゝしく来りて、 君のめし玉ふなり、はや/\台御畑へ罷り出られよと、小姓頭取取申 越せり、 君にはいま台御庭に待れ玉ふといふにぞ畏りぬるよし申、                       ワラグツ いそかはしく服をあらため、御庭のことなれば、草履をはき、御庭の 御門外にて小僕に刀をわたし、小刀のみにて門に入て見るに、君には 近臣四五人めしつれられ、いやしき者共がはたかへすを御覧せられ玉 ひけるが、彪がはせ参るを見玉ひて、近臣を遠け。小高き丘にのぼら せらるるにぞ、彪は其丘の下へ跪きて平伏せり、これへ/\との御意 に恐多くも丘に登り、御身近くさむらへは、汝をよぶこと他事にあら ず、時ならぬ冷さといひ、毎日空かくくもりあるは、雨ふり出し、南 北風打交り、雲のゆきかふけしき、いとおそろしく覚えたり、去年の 凶荒にて、天下万民飢になやめるをり、またことしも、五穀みのらず んば、天下の民いかばかりくるしまむと思へば、心せちになりて、安 んじかたし、公辺にても、いかに救荒撫民の政あるべきとおもひの外、 奢侈の風、日々に甚しく、しかも来る四月初めには、両丸御移がへの 式を行ひ玉ひ、また九月には将軍宣下あるべきよし、天下諸侯、幾巨 万の財用をか費さん、我かつてこれをうれへ、去年九月の日、登営の をり、老中共をよびて、凶荒のとし、大礼を行はせらるゝはいかゞあ らむと論じたるに、老中共何のいらへもなしえざりしが、其後家老中 山備前に伝へて、営中にてこの後唐突に議論なんどせまじきに心得よ といひおこせたり、我以の外気色を損じたれども、かゝる老中共へい か程存意をのべたりともせんなきことゝ、今日迄は黙々せしが、この ころの気候といひ、また浪華騒擾のこと抔思へば、片時も黙止かたし、 よつて明日不時に登城して老中ともを不残よび、十分に国家のことを 論じ、倹素に返し、中興一新の説をのへんと思ふはいかゝとの 仰承 り、彪は、元より左もあらまほしく思ひければ、いかにも 仰の如く ぞんずる旨申上置んとおもへども、君の英明、幕府にては兼て忌憚る 人もなきにあらず、なましゐに御建議なし玉ひても、其事行はれざる のみならず、君の御身上にさはらせ玉ふ事にも成行ば、容易ならずと 思ひ返し、時勢人情なんど彼是と申上たるに、君にもたやすからず思 召けれども、知ていはざるは不忠と思ひ、かくはおもふなり、されば 明日に我が登城せんといはゞ、役人共申留むるならん、たとひ役人ど もとゝめもせずして登城せしとても、幕府の政府、わが議をうけづし                      * ては申述る詮なし、さて汝が兼而懇に交り深き川路三左衛門は幕府の 吏にて事情にも通ぜる人と聞及びたり、いそぎ行て窃に語り試よとの 仰畏り奉り、御前をたちて退きしに、公手つからつませ給へる落草を 玉はりければ、おし戴き、もとの道より立出て舎に返り、とるものも とりあえず、川路にゆきて、ことのよしをつげかたらひけるに、川路 掌を拍て、 君公国家の為に思召の厚きに感じ奉り、しばし黙して考 へ、さて 相公の憂慮し玉へるは誠に難有御事なり、されど昔の世と はことかわり、今は三家の君、不時の登営し玉ふこともなければ、  君俄かに登営し玉はゝ、其御志の深切なるはいはずして、いとあら/\                     * しき御振舞と申さんもはかるべからず、また大久保加州、世にありし 日は、正しき道も聊か取用らるゝ勢ありしが、加州身まかりし後は、 有志の説も行はれず、 相公の御説は、国家の大議にしあれば、加州 いませしとても、容易に行ひがたかるべし、況んや加州既に黄泉の客 となりては兎角の論にも及ふまじ、某は司農の一吏なれば、政府の事 情はしらざれ共、某へはからせ玉ふとあらば、よろしきとは御請申さ                     * れずとて、彼是談話ありれるが、兎に角奢侈壅蔽の俗、日々甚しく、 川路も心中にいとくるしくと思へるさまにて見えけり、まかり帰りて、 川路の説しか/\と申上けるに、公もさこそあらめとて御登営の事、 思し止め玉ひけれども、ます/\憂苦なし玉ひけるこそかしこしと、 申も恐れ多くとおほえける、

この日、大阪
では、大塩平
八郎父子が自
殺している












































































川路聖謨。
かわじとしあ
きら、
1801〜1868
幕臣、通称三
左衛門、
当時は勘定吟
味役










大久保加賀守
忠真。老中、
天保八年三月
十九日没









壅蔽。
ようへい、
ふさぎおおう
こと


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