Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.3.6

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「丁 酉 日 録 (抄)」 その9

藤田東湖

『東湖全集』博文館 1909 より


◇禁転載◇

廿六日 陰晴不定管理人註

 君上去る一六日より、昨十五日まで御忌中にてあらせられ 讃州侯 御住居久姫君御卒去によりてなり、今日御忌明に付、御礼 御尋上使 として登ありけるゆゑ、出仕を免され、終日家居、論語を草す、 ○申時信州上田の士 用人 山田司馬之介来り訪ふ、山田は其藩の老儒 に而、朱子学をこのみ、また神道を明むるの志あるよし、先年其門人 上野昇太郎、大島邦之丞より承り居しに、近頃新に用人に転し出府し たるとて、今日大島と共に来れり、齢六十三歳、醇々たる老儒にして 少しく気概もある人なりき、 ○軽部平太左衛門来る、       * ○野州の画工靄涯 文平と称す と云ふ訪ひ来りて、余にあはむことを                    こふ、何ゆゑにやと僕をもてとひしに、鈴木八平の頼みにて来れりと いふ、よつて一見せり、靄涯曰く、七年前、八平の父鈴木松亭物故せ しが、未だ墓碑を建ざるゆゑ、今年五月の頃までに碑文を撰み玉へと、 二三年以前、庄司健斎に託して君に乞ひたるが、其文いまた撰みえざ るや承りて参るべきよし、八平より託せられたりといふ、健斎は三四 年音信も通ぜざれば、余はかつて作文のことを託せられしことを知ら ず、たとひ健斎を以て託せられたりとも、不敏の某、うけがたしと答             * るに、靄涯が曰、松亭の父石橋の碑文は、君の先君子撰み玉へり、其 子の碑にしあれば、君に託せるなり、されど、未だ八平より託したる こと、君のしり玉はぬ社いぶかしけれ、健斎子いかにして君に通せざ るにや、早くこのこと八平にしらせ、八平より託し奉るにてあるべし とて去ぬ、






















高久靄
たかく
あいがい
1796〜1843
文人画家、
平出雪耕らに
絵を学ぶ、
渡辺崋山等交
友は広い、








鈴木石橋。
1754‐1815
鹿沼の儒者、
私塾麗澤之舎
を開く、
蒲生君平は
その門弟


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