Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.4.6

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大塩の乱関係史料集目次


「丁 酉 日 録 (抄)」 その18

藤田東湖

『東湖全集』博文館 1909 より


◇禁転載◇

十日 晴 少しく暖気管理人註

         * 柴田銓之介来りて、東條文蔵、 水藩救荒行届たるよしを議席にて 語りたるを聞、誠に心よくおぼえたり、何とぞ序を以て、この事言 上して、一賤儒の申ながら、他に而かくまてに御称誉申上候事、虚 名にならぬ様に致度との申聞也、
○播州様家老市川五左衛門来る、御領中に而買穀の事催促なり、容 易に整まじき旨挨拶に及ぶ、 ○登殿、無事退出より山田司馬之介を訪ふ、談論時を移しぬ、当時 天下人望の帰する所は水府公を以て最とす、然るに如斯下民難渋せ り、何卒 公より御建議一新の御政あらまほしきものをと、しきり に慫慂せり、 ○時還舎、川路三左衛門より一書来り、これは過日川路を訪ひ たる時、兼而御城付を以て相公の御染筆願置たるが、今以御沙汰な ければ、何とぞ近々拝受致度、其文字これぞと願かたき筋なれ共、 神文前書の第一條を願度との事ゆゑ、委細 公へ申上けるに、去る 八日、御染筆御下ケ、今日御城付より川路へ下げたるよしにて、厚 く御礼申上るとの事なり、この外は 君公の特意にて、御下げの御 詠あり、とくに川路に伝へべきの処、繁冗にて今日まで延引の中、 最早御城付より、表向の分は下げたると見ゆれば、明日は是非川路 を訪ひ、御詠歌御下けの意味をのべんと、今日の答かた\/、明日 の案内を束ね、一書を裁す、



東條一堂、
(1778-1857)
上総国生れ、
江戸で亀田鵬
斎に古学を学
び、京都で皆
川淇園に学ぶ、 
瑤池塾を主催


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