Я[大塩の乱 資料館]Я
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大塩の乱関係論文集目次


「秋 篠 昭 足 の 追 跡
―大塩平八郎天草逃避説を洗う―」

その4

井形 正寿

『大塩研究 第27号』1989.11より転載

◇禁転載◇

逃避説を弁護する戸水信義

 ところがこの奥説を敷衍するというより、むしろ弁護するといった形で戸水信義 (3)なる人物が『史談会速記録』の明治三十三年八五号に「大塩平八郎渡欧異聞」(4)として、明治三十二年九月十六日の談話を速記録に残している。

 この速記録に記録されていることで重要な点を次に摘出する。

 この墓表を書いたのは重野先生とあるが、歴史家・漢学者で歴史上の重要人物を矢鱈と抹殺したので、抹殺博士の異名をとった重野安繹であるようだ。重野安繹については後で述べることとする。


(註)
(3) 戸水信義、金沢藩士。その子息戸水寛人は日露戦争のとき、主戦論者の東京帝大七博士の中心人物として目露開戦の建議書を政府に提出したので有名。
(4) 明治三十三年発行『史談会速記録』八五号四三頁〜五七頁「大塩平八郎渡欧異聞」国立国会図書館蔵


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「秋篠昭足の追跡」/目次/その3/その5

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