その1
井形正寿
1989.3『大塩研究 第25号』より転載
大塩平八郎が天保八年二月十九日、大坂天満の地に乱を起してから四十日近くも潜伏していた大坂靭・油掛町の美吉屋五郎兵衛については謎の部分が多い。その出自、経歴、そして大塩平八郎とは血縁関係があったのか。また美吉屋の子孫が現在もいるのか。大塩がなぜ美吉屋方を潜伏の場所に選んだのか等々について究明してゆきたい。美吉屋五郎兵衛と女房つねは江戸の幕府評定所で取調べ中に牢死している。しかし、同人の娘かつは急度叱¢キ(かつの子)かくは不問≠ナ済まされているから、その末裔がいても不思議ではない。この問題を掘り下げることによって大塩平八郎が美吉屋方に四十日近くも潜伏していた不可解な行動を捜る手掛りとしたい。
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