井形正寿
2003.2『大塩研究 第48号』より転載
石崎は洗心洞の法人化とともに、新たな決意を主張・社説として『陽明主義』八四号(大正八年一月号)で述べている。決意のほどが偲ばれる。長文であるので、石崎の貴重な言葉の部分だけを次に抜粋 した。
「陽明主義の新使命」
吾等は此の世界戦争の終了後始めての新年即ち記念すべき平和の第一年を迎ふるの日に於て陽明主義を唱出し得たるの光栄を天の霊に向つて感謝するものである、されば吾等は何故に陽明主義を唱出せるか、而して其の新使命とは何であるか、之を欧洲戦後の思想界に見よ、一の戦争の終りの後に他の新しき思想戦が戦はれて居るのを見ぬか、之を我が日本の思想界に見よ茲にも亦同様の新旧思想の葛藤があるではないか、かかる葛藤、争闘も之を歴史的に見れば文明の過程に免がるべからざるものではあるが、而かもかかる思想界の混乱から生ずる戦争又は革命に試みらるゝ人類こそ実に禍ひといはねばならぬ、さらば此の悲惨なる過程を速かに決済して一日も早く世界的には常世の平和を迎へ、文明の天国を来たらし、国々安泰に、人々各其処を得て幸福の世界に到達せしむることは是れ正しく人類の努めでなければならぬ、而かもそれにはどうして到り得るか、此の壇場こそ独り陽明主義の為めに設けられたところであつて、陽明主義の唱出に依て初めて開かれた独壇場である。
吾等もし人に向つて「汝は良心ありや」と問はゞ其人は悌然として怒るであらう、分に大小の別はあるが人に良知なきものはない、良知は天心の人に頒賦したものである、即ち天理又人道である、昔の宗教家はこの理この道を神と云ひ仏と云つた、其の愛なり仁なり誠なり、神も良心の外になく仏も良知の外にない、人能く常住不断の此の良知を行はば神は常に吾れと共に在るのである、之を以て人が良知を働くとき物は皆な処を得る、之を社会に働かすとき社会は人道に充たされる、之を国家に働かして国家は治平、之を世界に拡めて王道仁政天下太平となる、
今の思想界は欧洲において米国に於て将た遠き日本に於て此の新旧思想の争闘を見ないものはない、真の意味に於て戦争は終つたか始まつたか分たものでない、兎に角武力戦争は思想戦に移た、露国の自己壊滅を堵して樹ては徹底的自由主義の革命旗は其の進軍の狼煙と見らるゝであらう、彼等は自国の軍国主義を倒したのみでなく、更に進んで軍国主義と同様の資本主義を倒して貧民政府なる新国家を建てた、其後独墺諸国もまた同様の自己改革を起して之に倣はんとして居る、我等は之を憐れ当然の成行だと思ふ、敵と味方となく内には長い間軍団主義で忠君愛国で国民を奴隷にし、外には世界万国に暴威を奮たものゝ一且自覚した時に軍国主義と同様の資本主義を倒壊して徹底的自由主義に憤慨して永世平和に出立するのは当然である、所謂文明に区切を置かない平和に制限を附せざるが人類共通の理想で而して此の理想の純理的たるを否定し得ないであろう、然らば正義自由を主張する国は之に一致せなければならぬ筈である、英国は自由を尊ひ米国は正義を愛する国といはれて居る、而も彼等は皆な露領に兵を入れて世界平和の敵必ず倒すべしとして居る、独にして過激派の天下たらば之を分割すべしと威嚇して居る、何の為に然るか、見よ英国の植民地の地球に広きを米国の富の世界の半を有するを、彼等は既に世界を有して居る、資本主義で世界を征服して居る。
今軍団主義から覚醒した欧洲民族は是と同様の資本主義を倒して徹底的自由主義を得んために奮起した、世界戦争も亦此の思想の為めに休戦となり講和が持ち来たらされた、是れ取も直さず思想の力が、武力の闘争に勝利したのである。
此の時に当て東方の君子国はどうして居るか、無論日本は王道を以て立国の基礎と定められた国である、只悲矣哉時の汚隆消長なきにあらず、王覇の争が幕府政治に勝たのは明治の維新であつたけれども、功利的欧洲文明の受入は忽に王道政治の形式だけを残して忽ちに独の軍国主義となり、又英の資本主義となり、国民は軍備に労かれ、政党は資本の為に腐れ、国民は過度の忠君愛国を強要され、而して社会生活の自由は却て富豪の為に脅かされ、学者は覇道者の代弁人となり、宗教家は貧民労働者に地獄極楽を説て服従を脅迫する、君子国の当路大官は忠良なる国民の思想に常に疑の目を向けつつある、米騒動が起ればテツキリ露国主義思想の伝播と為し、民本主義を鋭けば直に国体にも累すると考へる、国体擁護の運動となり、人心帰向統一の建議案となり、儒教再興の計画となる、一の戦争が終りを告げて他の戦争の起りに対するこれが抑も日本の用意であるか、日本民族に万世一系の御門あることを日本国民の忘れたらんやうな国体擁護を唱道せるものは誰であるか、吾等は痩犬の如き団体を認めない、之を唆しかけつつある偽忠君偽愛国の本尊を出せ、上に一天仁慈の御門在まし、下に忠良なる臣民に充たされた日本に不祥なる国体擁護の語を耳にして吾等は哭天働地世の末なるを悲まずに居られない。
然らば人心帰向統一案とは何であるか、先帝教育勅語を下し給へてより三十年、今は小学児童の之を暗誦せざるはない、国民の心は一に万世一系の御門に懸て変る所はない、而も国民の忠君愛国に不足ありと考へるか、若し然らば軍閥の要求し又其下請の注文する忠君愛国と、赤子臣民の胸臆に自然に湧ける忠君愛国とは異るものであらねばならぬ、之を建議案に依り人工的に統一せんとするのは恰も英仏の暴君が露国の自由主義を功利主義の武力下に征服せんとすると同様である、彼等は国民を箱詰にして無限の忠君愛国の精神に制限を加へんとするものである、彼等は其結果の重大なるを覚悟せるかどうか。
若しそれ儒教主義の復興といふに至つては、之が発企人の官人乃至学者教育家に儒教の何物たるかが分つて居るか否やを疑はざるを得ない、彼等の計画が若し伝ふる如く忠孝倫理の教義を儒教に取り、日本武士道の美風を涵養し、欧洲文化の長所を学ぶといふが其要件ならばそは儒学を解せざるものゝ所説である、只朱子学一派の私見に過ぎない、元来日本に云ふ儒教とは幕府時代の御用教育に採用された朱子一派の倫理を云ふもので、其の二次的思想は前には徳川時代の日本人を過らしたもので、維新に於て之が一元的陽明主義思想の運動の為に打破されたのであるが、而も永年の堕力は恐るべし再び藩閥政治の為に採用されて王覇併用は次で独の軍閥に之き、英の功利に堕し、教育は形式となり、知と行と分裂し、名と実と伴はざる、総ては是れ人工的作為の教義でそれが朱子学の支離と言はれる所以なのである、それを今現代に興さんとするのは時代錯誤でなくて何であるか。
吾等の世界は吾等の心で考へなければならぬ、我が心に求めなければならぬ、天理は世界を通じて一理である我が良知の求める所の外に別に世界平和の道文明の道はない、世界の道は即ち我が道である、我が道とする外に世界の正義人道がある訳ではない、然らば彼の自由正義が何故に我に分隔するか、我が愛国忠君の何故に彼と分隔するか、さらば爾等その私の道を棄てよ、而して公の道に帰れ、公の道は他なし我が良心に帰るのである、良知を行ふのである、我が本知本能を働くのである、そこには無限際の文明が展開し、常世の平和が来る、而して吾人ともに茲に至るは先づこの私己を打破するに始まる、是れ自己革命である、吾が陽明主義は各人に自己革命を宣伝する為に生れた、是れ世界文明のあらゆる革命に出立する第一の自己試験であらねばならぬ、(十二月十一日夜記)
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