Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.5.3

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大塩の乱関係論文集目次


石崎東国の足跡を追う

その11

井形正寿

2003.2『大塩研究 第48号』より転載


◇禁転載◇

社会主義台頒の潮流のなかで誹謗中傷

 明治四十年大阪陽明学会設立以来、学会に対し「陽に致良知をを標榜して、陰に社会主義を宣伝するに非ずや」との誹謗中傷がなされていたことが『陽明』誌上で、たびたび取り上げられている。石崎東国が東京にいた時、社会主義者と親交があつたが、志を移さなかったとしているが『陽明』六号(明治四十三年十二月号)で、獄中の幸徳秋水(伝次郎)から友人堺利彦宛に送られた書翰末尾の、獄中吟を誌上で紹介したりしている。

 この年、幸徳秋水らの社会主義者が多数逮捕された大逆事件の前後から大阪陽明学会への誹謗中傷が強まって来たことを『陽明』誌上から探って見ることとする。

 『陽明』四号(明治四十年十月号)に竹公羽なる人物が「誤解されんとする陽明学」と題して次のような弁解を載せている。

 と以下綿綿と書かれているが、省略する。

 『陽明』五号(明治四十三年十一月号)の編集後 記ともいうべき「烟影録」のなかで次のような記事 がある。

 この一文から、台頭した社会主義と大阪陽明学会 が同列に置かれて危険視されていたことが、よくわかる。

 『陽明』八五号(大正八年二月号)では、石崎東 国が「陽明主義を誣ゆるものに答ふるの書」と題し て、次のような長文をもって、陽明主義擁護の弁論 を展開している。


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