井形正寿
2003.2『大塩研究 第48号』より転載
来書畧云、小生の処へ陽明宗の昨今は
陽に致良知を標榜して
陰に社会主義を宣伝するにあらずやとの書を寄せたるものあり、
貴下以て奈何と為す、請ふ省察せよ。(己未一月二十三日)
昔は陽明先生の致良知の学天下に風靡するや伝法沙門の名を付けて彼は儒名を籍て禅学を鼓吹する異端であると罵られた、我が国でも蕃山先生が王道の教法を唱へて当時の人心一向に帰依するや、之を妬むるのは「耶蘇の変法」なる異名を付け、儒門に隠れて耶蘇の法を弘むる邪説人心を惑はすものだと罵られ、遂には幽閉の身ともなられた、観来たれば古来聖賢といはるゝ先哲にしても此の憂はある、况や聖賢ならざる狂愚の吾等に如何な
る名を設けて罵り嘲らるるともそは徳の足らざるに依ることにて、只だ此の誠意だに変らずは何時かは陽明の禅に似て然らざる、王道が耶蘇の変法にもあらざるが解けて広明康大の心を照す日のある如く、陽明主義が社会主義の変法にあらざるを知る時も来るであらうと思ふのである、併しながら吾等も天民の一人なれば天の霊ある言はざるは罪あることなりと蕃山先生の言ひ置かれしに考へて、若し我が道に誤算あらば其の誤解を解き、若し真に我が道に志あるものならば一人にても吾党の人たらしめんは吾等の努めでなければならぬと信じて此の書を作る。
吾等考ふるに陽明先生の時朱学既に天下の学柄を収めて居た、儒学は二元的にのみ時の人心を支配した、二元主義思想は如何に力めても一元になり得ない、そこに文明は限ぎられた、そこに生活は停滞した、かゝる時陽明先生の出現は実に世の驚きであつた、知行合一の如何に親切に致良知の如何に簡易であるか、今まで文字上にあつた忠孝は思想的に融けて心内に帰つた、天下の眼は初めて人間らしく又社会的に開かれた、一元的致良知の賜である、然も此の時其門戸まで来て居たのは禅学であつた、故に致良知に開かれた目は一様に禅学を見出したと共に学者は之を禅学の異端から来たと罵った、何ぞ知らん朱学の徒の不合理なる哲学は其の間隙を禅僧にすら窺はせて居たのである、かうして陽明先生は学者から伝法沙門と罵られたけれども真の孔孟の一元主義は後世遂に社会思想の中心となつたのである、蕃山先生の時又同じである、徳川氏の幕政新に根城を固めた時林氏は朱学を以て其の門戸を警衛した、封建の政治教育は固く王道の教法を拒んだ、併しながら日本国民は如何なる世にも京師の皇室を離れざると共に心中深く理想とする王道を忘れ得ない、蕃山先生の良知即王道主義を唱ふるに及んで驚くべき勢力は或は名を籍りて正雪の謀叛の如きがあつたに拘はらず、時の思想は朱学の朱離より王学の純一に向つて流れた、実は儒学も神道も仏教も只覇者の利用に委して人間の生活と別物となり、生活の現状と交渉なく功利者の道具となつた時代である、されば一旦駆逐された耶蘇は此の時却て国民思想の中に片影を留めて吾等を救ふもの茲にありとした、蕃山先生の良知的王道主義は之に一点の霊光となつて国民思想に飛込んだ、学者と政治家は之を悪んで耶蘇の変法と為し、人心を蠧惑するものとして彼を捕へた、併し思ひ見よ、儒教も仏教も神道も真に人心に生きて働く生命のあつたならば耶蘇の伝播を恐るゝ筈はないのである、而も彼等は只暴政家の奴隷となつて国民思想を離れた、されば耶蘇教さへも入らんとした、況や王道の大本教法が勃然として民心を興起せしめたは当然である、何となればこれが人類の父であり母であり真
に社会の理想であるからである、それすら人は耶蘇の変法といひ得る、
陽明主義を社会主義の変法と認めるに
果してドレだけの間隙があり、
国民思想がドレだけ飢いて居るかを見よ。
吾等思ふに今人は遠く欧州諸国における社会主義無政府主義の恐るべき運動を見て近い此の我が国内における経済的趨勢乃至生活事情のどう傾きつつあるかを考へて見ないではなかろうか、考へて見ないのは考へる程の不足不満が無いからだとはどうして謂へるのであらう、薄氷を履て堅氷至るとは何を謂ふのであらうか、同一の逕路を歩むものは同一の帰着を得なければならぬ、併し是は世の先覚と称せらるゝものにして初めて知るべきことで、中以下にはそれが愈堅氷に至り覆溺の時が来なければ分らぬ、若し少しでも分て居るならば分らぬものゝ眼を開くのは君子の道である、天下の憂に先だつて憂ふるは仁人の道である、仁人君子は宜しく此れが救世済民の道を講ぜねばならぬ、欧州の社会主義は日本人から見ては恐るべきものだとされて居る、併し欧州の横暴なる政治、無慈悲なる経済主義は実際社会主義でなければ救はれないと彼等は考えて居る、果してそうであるか否やを私は知らない、吾等は我国の現状を憂ふる王道の尊きを知る、吾等も亦世界人類の一員である、世界の平和と人類の幸福は祈らざるを得ない、同時に吾等は差別的待遇の下にある東洋黄色種の一族である、又此の民族の幸福と進歩は必ずや特に大に考慮せねばならぬ、吾等をして忌憚なく言はしむれば我が先輩の多くは余りに西洋文明に心酔した、此の心酔の結果に構成された文明は神武王道の形式を存じて而も甚だ独逸的軍国主義者となつた、又甚だ英国式資本主義に傾いた、この軍国主義を吾等は覇術的政治といひ、資本主義を功利的経済と称する覇道功利の政治が社食を腐敗せしめ、国家を堕落せしむることは何人も知るところである、而して此の腐敗といひ堕落といふ皆なこれ人心の腐敗堕落の国家社会に露出表現したものでなければならぬ、王道を見棄てゝ覇術に傾いたのは即ち内部の良心が邪慾に陥たるものの争はれぬ証拠である、而して之が教育となり、之が政治となり、之が軍隊となり、之が産業となる何れかこれ軍国主義資本主義でないであらうか。
Copyright Masatoshi Igata 井形正寿 reserved