井形正寿
2003.2『大塩研究 第48号』より転載
欧州に於ても軍国主義資本主義者の手より世界を徊復せんが為に努力して居る彼等は之をデモクラシーといひ或は社会主義と呼んで居る、かくて我が国民に取りて恐ろしく見ゆる彼の旗も欧州の今の国民にとりて救の目標とされて居るのは恰かも我が党の王道の旗が先覚の目標であると一般である、而してその目標が今や漸く天下に明瞭に民衆の大喝采を得つゝある、其哄の声を聞けるものが外来の声か社会主義の旗かと見誣ゐ聞咎むるのは神武の王道を知らざる徒でなければ、我が踏める地の既に侵略者の手に落ちたるをもなほ知らずに我は茲に在りとして、暴君の来て汝を握み出すまで分らざる憐れなる国民でなければならぬ。
さらば吾が陽明主義を指して社会主義の変法とは抑も何を以て之を言ふのであるか、社会主義の恐るべきが故に王道主義の恐るべき理由とはならない、陽明主義は良知即王道を鼓吹すれど外来思想を宣伝するものではない、外来思想、伝統思想は寧ろ却て我が陽明主義の敵でなければならぬ、何となれば我等は昔し朱子学者の敵として生まれた、伝統思想はその系統に属する、外来思想の二元的なるは尚それより甚だしければである。彼等は物質だけ生活だけの均等を目標とするが、吾等は物質の上に限られた人心を一様に同時に内部に回収すべく運動する、彼等は物質が人間を支配するものとして之を平均して人間生活の平等を期せんとするが、我が党の宗旨は人間を以て物質を支配せんとするものである、彼等は此の平等的状態を正義自由と称するのであるが、吾等は人間の性は即善であるが故に人心良知を致せば物は正義自由の平等に帰るとする、彼等は物を求めるのであるが、我等は物を産むのである、求むるものには限りがあるが産むものには限りがない、されば彼等の文明には際限があり、我等の文明は無限際であるといふことになる、之を哲学的に評すれば彼等は客観的二元主義で我等のは主観的一元主義である、併し彼等も初めは科学的にのみ主張したものが幾多の覚醒を経て更に哲学的方面に進路を転じて来た正義自由の名がそれである、是れ以来社会主義は発展したといはれる、兎に角是れだけの相違は何人も陽明主義を誣ゆることは出来ない、鳥だも春来れば幽谷を出でゝ喬木に移る、今は天下の春である、欧州紅色の異人すら尚ほ資本主義より社会主義に社会主義より正義自由の声を転ずるに至つた、此の正義自由の声すら尚ほ功利的箇人主義の変調を免れない時、我が陽明主義者が々たる王道の民を以て争かで紅色異人の功利的声調を学ふものがあるか、吾等の声が日本に満つるの時東洋は王道の中心となり、その東洋に満るの日初めて世界の平和が来り、而して杜会主義は亡ぶるであらう、吾等の良知はこゝまで拡充しなければならぬ。
若しそれ良知を抱で懐にありとのみ信ずるものはその人は王学を噛む禅坊主である、朱学の網に入れる王学者である、王覇を弁ぜざる学究である、口に忠君愛国を誦する箇人主義者である、何にかの時には事ある場合にはと時期待ちの学者、学問を余所行きの準備に用意せる人である、世人は斯くの如きをも陽明学と称するならば此の外に朱学の支離が何を指すかを数て見よ、陽明主義はかかる文字に堕した良知を思想の内に回収せんとするものである、箇の良心を融て一会社一国家一世界に流通せしめん為に生れたのである、吾等今日斯道を行ふ是れ一日王道を行ふのである、立言以て王道に及び批評の文明思想に及ぶ此の片言隻句も良知を推して発するものでなければならぬ、其の邦家の王道に至り、世界文明の平和に至らんことを望むは人間最高の理想である、世に王道の衰いたるや久矣、王道の何物であるかすら今の功利者の末裔には通じない、こは人間の良心を知らぬと同様といはねばならぬ、我が王道を以て社会主義の変法と見るのは既に社会主義に浸蝕された証拠と見ても宜い而も之が為に陽明主義を社会主義の変法とするのは陽明先生を伝法沙門といひ、蕃山先生の王道主義を耶蘇の変法といふと一般である、吾等の先輩三宅雪嶺翁は今後の政治家に要望する一論文に新王道を唱へて居た、沢柳政太郎氏は新理想の樹立を論じて箇人、社会、国家を一賞すべきものを求めよと云はれて居る、彼は未だ茲に陽明主義のあることを知らない、若し此の新理想主義に当はめるに新王道を以てしたならば陽明主義は即ち箇人にある良心の社会に人道となり、国家に致すが王道となるものであることが分明するであらう。
今ま世人は此一貫の道を求めんとして箇人的には宗教に迷ひ、哲学に迷ひ、政治的には社会主義といひ、国家主義といひ、互に論評するけれども、只知識的比較的に彼よりも此れの稍優されりとされるはある、然れども一貫の道は未だ新たに之を唱出したものはない、是れを発見し得なければ僅に人為的にもせよ、作為的にもせよ正義自由なる名を以て箇人、社会、国家を結合せしめんとするは当然である、而して比較的之に当嵌まるものを社会主義思想に結び付けたのがデモクラシーと言はれる、けれども欧州に唱へられる此のデモクラシーが東洋に果して何等の間隔がないであらうか、決してそうは行かない、英米人の正義自由は未だ東洋に適用されぬ、正義自由に元来かゝる間隔があるか、是れ人為的作為的仮設のものであるからではないか、然らば是を一貫的のものといふを得ない、此の一貫的のものを吾等は良知であり、即王道でなければならぬといふ、之が一貫的なる時にそこに吾等の眼中偏狭なる国家主義なく危険なる社会主義はない、何となれば王道を奉するものに国家を無視する凶徒はなく、良知を行ふものに社食人道を無視する賊子のあるべき筈がない、されば世人は我が王道を以て社会主義の変法の如く誣ゆる盲目評に迷はされてはならぬ、モシ此種の讒言を信ずるものあればそは朱王の別、王覇の弁を知らざる徒でなければならぬ。(大正八年一月二十六日)
|
石崎は、この弁論を社説として大いに弁じている。
Copyright Masatoshi Igata 井形正寿 reserved