Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.4.27

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大塩の乱関係論文集目次


石崎東国の足跡を追う

その5

井形正寿

2003.2『大塩研究 第48号』より転載


◇禁転載◇

石崎東国の活躍時代(2)

 ○石崎東国、陽明学会発足に言及
  ―明治四十三年十月『陽明』四号掲載―

 明治四十一年秋、某所で開催された学術講演会に於て、石崎東国は前年創立の大阪陽明学会について「自分の関係した学会を紹介」すると発言して、学会設立の趣旨、抱負等に言及している。講演「洗心洞学会を紹介する」は、編輯人吉田程二が記事にしたものであろうかハ、原文は読みづらいので、石崎の言葉を少し簡略化した。講演要旨は次のとおりである。

 と、石崎は創立間もない学会について熱弁を振っている。まさに獅々吼の姿が目のあたりに浮ぶ。彼はこの会場で洗心洞学会と言っているようだが、後においても陽明学会と洗心洞学会と混用していることが多い。

 ○石崎東国、陽明学会創立の唱道

 石崎東国は、大阪陽明学会の会則上の役職は創立当初は幹事。その後主幹になっているが、学会創立に石崎が関与していたことを『陽明』六号で天魔禅窟が「東西の陽明学派」のなかで次のように述べている。

 とあるところからすれば、石崎東国は大阪陽明学会の創設を唱道・関与していたことを示唆している。なお、吉田晒鶴は『陽明』四号で「予の王学に入りし経路」を発表しているが、本名などわからな。


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