此の火災、十九日より廿一日に渉り、寺社武家町家を合て一万八千二百五
十余軒、町数凡百二十丁、実に大阪開府以来未曾有の大災と称へられ、之
を天保の大塩騒動といふ(天保塩賊乱と題せる其頃大阪在勤某家々臣実見
の記は尤確説たり)、或は大塩を以て勤王の義挙といひ囃すは、此時彼が
所々に配布せる檄文の中に、
四海困窮せば天禄永く終ん、又曰小人をして国家を治めしめば災害並び
到ると、然るに此頃大切の政事に拘り候諸役人共、賄賂を公然と貪り、
或は仕用して、奥女中等の縁に因て、何の分別思慮もなき拙き身として、
重き役に歴上り、一人一家を肥し候工夫のみに心を運らし 中略 四海
困窮相成候に付、江戸を始め、諸国一同上を怨まざる者なく、天子は足
利家以来別て御隠居御同様、賞罰の�ネを御失ひに付、下民の怨み何方へ
可訴申方もなきに依て、其怨気自然と天に通じ、年々地震火災、山崩れ、
川溢れ、遂に五穀飢饉に相成、是皆天より深き御誡なり、我ら草の蔭よ
り之を察し悲むと雖も、湯王武王の勢位もなく、孔子孟子の道徳もなけ
れば、徒らに蟄居致し居候処に、此節大阪の奉行並に諸役人共、得手勝
手の政道を致し、江戸へは回米の世話を致し乍ら、天子御在所の京都へ
は回米致さず、何れの土地にても、人民は徳川家御支配の者に無相違処、
如斯隔をつけ、其上大阪市中遊民計を大切に心得、有福の金持共は役人
格に取用られ、田畑夥敷所持し、此節の天災を見乍ら、恐も不致、揚屋
茶屋へ諸大名の家来を誘ひ、河原者を誘ひ、遊楽に耽けるは何事ぞ、奉
行諸役人共 中略 下民を救ひ候事も難出来、月々堂島の米相場計を致
し、実に禄盗人なり、之に依て蟄居の我ら最早堪忍難成、無拠天下の為
めと存、血族の禍を侵し、有志と申合せ、民を苦むる役人共を誅戮し、
引続き奢に長ぜる金持共もを誅戮致し、右の者所持の金銭米穀を、難渋
の者へ分散配当す、故に何時にても大阪市に騒動起ると聞に於ては、一
刻も早く馳参るべし、一揆蜂起の企と違ひ、都て中興神武帝御政道の通、
寛仁大度の取扱に立戻し、生前の地獄を救ひ、死後の極楽を眼前に見せ
遣し、中略 此度の一挙を平将門、明智光秀の謀叛に類すと申者も有之
道理 中略 全く以天下国家を盗む欲心より起り候には、更々無之は日
月星辰神鑑有之所 中略 疑敷ば我ら所業終る所を篤と眼を開きて見よ。
とある、
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