中斎は人となり、峭酷峻獅ノして、動もすれば輙ち忿恚を発し易し、若し彼れが心を激するものあれば、彼れは殆んど狂せんとするまでに睚眥烋の情を露はせり、
東湖随筆に曰く、
面のあたり矢部に質せしに、矢部曰く、平八郎を叛逆人と云へども、駿河守の案には叛逆とは不存候、
平八郎は 所謂肝癪持の甚しき者也、与力を務むる内豪富を折し、山民を救ひ、奸僧を沙汰し、邪教を吟味したる類、天晴の吏と云ふ可し、又た学問も有用の学にて、中々黄吻書生の及ぶ可きにあらず、其奉行在役中度々燕室へ招き密事をも相談し、又過失をも聞き 益を得る事浅少ならず、言語容貌決して尋常の人にあらず、
彼れ実に叛逆を謀らんには いかで大阪の御城へ籠らざる事ある可き(大阪御手薄の事 門番の事 年来大塩の苦心の事なりとぞ、)然るに御城へは不入して 棒火矢を以て焼き払ひたるは、何ぞや、
某曾て平八郎を招き 共に食を喫せし折節 金頭と云へる大魚を炙り出せり、時に平八郎憂国の談に及ぶ時平八郎忠憤のあまり怒髪衝冠とも云ふ可き有様ゆえ、余程に慰諭しけれども、平八郎益々憤り、金頭の首より尾までワリワリ噛み砕きて食ひたり、
翌日に至り、家宰 某を諌めて曰はく、昨夕の客は狂人なり、ユメユメ高貴の御方可近にあらず、爾来奥通り指留め給へと、実に某が為めと思ひて云ひけれども、汝が知らん所に非ずとて、始終交りを全ふせり、
此の一事小なりと雖も、平八郎の人と為りを知るに足れり、