Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.10.20

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大塩の乱関係論文集目次


「大 塩 中 斎」 その15

井上哲次郎 (1855−1944)

『日本陽明学派之哲学』冨山房 1900より
(底本 1908刊 第6版)



改行を適宜加えています。

第三篇 大塩中斎及び中斎学派
第一章 大塩中斎 
第三 学 風
  (1) 

中斎自ら実践窮行を務め、子弟を教導すること極めて厳なり、故に子弟の感化を受くること亦浅少なりとせず、中斎が乱をなすに当りて二三の之れに叛くものありしと雖も、多くは留まりて中斎と死生を共にすることを辞せざりしが如き、平素の薫陶に出づるものなくんばあらざるなり、洗心洞盟約書あり、云く、

此れに由りて之れを観れば、中斎は盟約書に背くものあれば、長幼の別なく、鞭打を加へて之れを懲罰せり、其事たる今日より之れを見れば、厳酷に失するの嫌なきにあらざるも、亦当時の書生を鍛練するには効力ありしならん、若し夫れ最後の絛の公罪を犯せば云云の如きは、夫子自ら之れに背くに至れり、是れ亦自家撞着の甚しきものならずや、


猪俣為治「大塩平八郎」その17


井上哲次郎「大塩中斎」その14その16
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