洗心洞の学堂には、中斎天成篇の一文を貼付し、之れに付記して曰く
「銭緒山以天成篇、掲喜義書院、示諸生、吾亦謹書掲洗心洞弟子日読而心得需、則猶躬親学於陽明先生」と、
其文に云く、
吾人万物と天地の中に混処す、
天地万物の宰たるもの、我身にあらずや、能く以て天地万物に宰たるは、吾心にあらずや、心何を以て能く天地万物に宰たるや、
天地万物声あり、而して之れが為めに其声を弁ずるものは誰ぞや、
天地万物色あり、而して之れが為めに其色を弁ずるものは誰ぞや、
天地万物味あり、而して之れが為めに其味を弁ずるものは誰ぞや、天地万物変化あり、而して其変化を神明にするものは誰ぞや、
是れ天地万物の声は声にあらざるなり、
吾心によりて聴いて斯に声あるなり、
天地万物の色は色にあらざるなり、
吾心によりて視て斯に色あるなり、
天地万物の味は味にあらざるなり、
吾心によりて嘗て斯に味あるなり、
天地万物の変化は変化にあらざるなり、
吾心によりて之れを神明にし、斯に変化あるなり、
然らば天地万物吾心にあらざれば霊ならず、
吾心の霊毀てば、声色味変化は得て見えず、
声色味変化得て見えざれば、天地万物亦息むに幾し、
故に曰く、
人は天地の心万物の霊なりと、
天地万物に主宰たる所以なり、
吾心、天地万物の霊たるもの、
吾れ能く之れを霊にするにあらず、
吾れ一人の其色を視ること是の若し、
凡そ天下の目あるもの、同じく是れ明なり、
一人の其声を聴くこと是の如し、
凡そ天下の耳あるもの、同じく是れ聴なり、
一人の其味を嘗むること是の若し、
凡そ天下の口あるもの、同じく是れ嗜なり、
一人の思慮、其変化是の若し、
凡そ天下の心知あるもの同じく是れ神明なり、
徒に天下然りとなすのみにあらざる
なり、
凡そ千百世已上に前きなるも、其耳目同じ其口同じ其心知同じ、同じからざるなきなり、
千百世巳下に後なるも、其耳目同じ、其口同じ其心知同じからざるなきなり、
然らば明、吾れの目にあらざるなり、天之れを視るなり、
聴、吾れの耳にあらざるなり、天之れを聴くなり、
嗜、吾れの口にあらざるなり、天之れを嘗むるなり、
変化、吾れの心知にあらざるなり、天之れを神明にするなり、
故に目、天を以て視れば明に尽く、
耳、天を以て聴けば、聰に竭く、
口、天を以て嘗むれば、嗜に爽はず、
思慮天を以て動けば、神明に通ず、
天之れを作し、天之れを成す、参するに人を以てせず、
是れ之れを天能といふ、
是れ之れを天地万物の霊といふ、
吾心、天地万物の霊たり、惟々聖人能く之れを全うするをなす、
聖人能く之れを全うするにあらざるなり、夫れ人の同じき所なり、
聖人の色を視ること吾目と同じ、而して目能く色に引かれざるもの、天視に率へばなり、
聖人の声を聴くこと、吾耳と同じ、而して耳能く声に蔽はれざるもの、天聴に率へばなり、
聖人の思慮吾心知と同じ、而して心知思慮に乱れざるもの、神明に通ずればなり、
吾目色に引かれずして、以て吾明を全うす、聖人と其視を同うするなり、
吾耳、声に蔽はれず、以て吾聴を全うす、
聖人と其聴を同うするなり、
吾口、味に爽はず、以て吾嗜みを全うす、聖人と其嘗を同うするなり、
吾心知思慮に乱れず、以て吾神明を全うす、聖人と其変化を同うするなり、
故に曰く、聖人学んで至るべしと、
吾心の霊、聖人と同じきを謂ふなり、
然らば聖人を学ぶにあらざるなり、能く自ら吾天に率ふなり、
吾心の霊、聖人と同じ、聖人能く之れを全うす、
学者全きを求む、然らば何を以てせんか、要あり、以て支求すベからざるなり、
吾目、色に蔽はれて而して後、去るを求む、明を全うする所以にあらざるなり、
吾耳、声に蔽はれて而して後、克つを求む、聴を全うする所以にあらざるなり、
吾口、味に爽ふて而して後、□を求む、嗜を全うする所以にあらざるなり、
吾心知、思慮に乱れて、而して後、止まるを求む、
神明を全うする所以にあらざるなり、
霊やは心の本体なり、性の徳なり、百体の会なり、
動静を徹し物我を通じ、古今に亘り、時として霊ならざるなく、時として或は間つるなきものなり、
或は生れて之れを知り、或は学んで之れを知り、或は困して之れを知る、
皆自ら是霊に率ひ、以て百物に通じ、欲に間たしむるなきのみ、
其功同じからずと雖も、其霊、未だ嘗て一ならずんばあらざるなり、
吾れ吾霊に率つて之れを目に発し、自ら色をを弁じて、而して色に引かれず、明を全うする所以なり、
之れを耳に発し、自ら声を弁じて、而して声に蔽はれず、聴を全うする所以なり、
之れを口に発し、自ら味を弁じて、而して味に爽はず、嗜を全うする所以なり、
之れを思慮に発し、万感万応声臭を動かさず、
而して其声常に寂たり、大なるもの立て百体通ず、神明を全うする所以なり、
人一たび之れを能くすれば、己れ之れを百たびし、
人十たび之れを能くすれば、己れ之れを千たびし、
必ず是霊に率つて欲に間つるなし、
是れ天之れを作し、人之れを復す、
是れ之れを天成といひ、
是れ之れを致知の学といふ、