Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.11.24

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「大 塩 中 斎」 その20

井上哲次郎 (1855−1944)

『日本陽明学派之哲学』冨山房 1900より
(底本 1908刊 第6版)



改行を適宜加えています。

第三篇 大塩中斎及び中斎学派
第一章 大塩中斎 
第三 学 風
 (6)

田中従吾軒は中斎を以て傲慢の人とし、其学問も素人学問にして極めて浅薄なりしものとせり、其談話中に言へるあり、云く、

学問を記誦諦詞章の義とせば、従吾軒の言当れり、然れども若し修身誠意の義とせば、従吾軒の言誤れり、彼れ本と小読を以て専門とせるもの、如何ぞ中斎が学問の価値を論ずるを得ん、中斎が学説未だ尽さヾるもの多きは論を竣たざるも未だ従吾軒をして鼎の軽重を問はしむるに至らざるなり、又中斎が山陽と相交はりしは、其意気投合する所ありしによる、必ずしも其及ばざるが為めにあらざるなり、従吾軒の批評甚だ僻せりと謂ふべきなり、彼れ又中斎を論じて云く、

従吾軒は洗心洞箚記の旨趣を了解せしや否や疑はし、小説を以て汚されたる頭脳を以て道義の書を手にするも、其旨趣の存する所を曉得すること難しとなす彼れ自ら其果して然ることを表白せり、

俗諺に云く、「猫に小判」と、此れ之を謂ふなり、

又小竹の如きは本と翩々たる文人のみ之れを以て中斎に比するすら、已に牛麒鶏鳳を同一視するの感なしとせず、

然るに彼れを以て此れに優れりとするが如きは真に菽麦を弁せざるものと謂ふべきなり、


田中従吾軒「大塩平八郎の話


井上哲次郎「大塩中斎」その19その21
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