田中従吾軒は中斎を以て傲慢の人とし、其学問も素人学問にして極めて浅薄なりしものとせり、其談話中に言へるあり、云く、
大塩の学問は陽明学で、又槍を使ひまして、先づ当時では上手であつた、学問も固より傲慢な人だから、威張つて居たが、素人学問ですから学問は左程ではない。大塩は無暗に当時の学者を見下して居た、併し頼山陽などは迚も敵はぬから、尊敬して居つて山陽に蘆鴈の絵を贈り、山陽は又それに対して礼の詩などを贈りました、大塩は学問の方は深くはないが、若し之れを彼れ此れ言ふ者があると直ぐに怒りてしまふ、
学問を記誦諦詞章の義とせば、従吾軒の言当れり、然れども若し修身誠意の義とせば、従吾軒の言誤れり、彼れ本と小読を以て専門とせるもの、如何ぞ中斎が学問の価値を論ずるを得ん、中斎が学説未だ尽さヾるもの多きは論を竣たざるも未だ従吾軒をして鼎の軽重を問はしむるに至らざるなり、又中斎が山陽と相交はりしは、其意気投合する所ありしによる、必ずしも其及ばざるが為めにあらざるなり、従吾軒の批評甚だ僻せりと謂ふべきなり、彼れ又中斎を論じて云く、
大塩は極く負け嫌ひの人であるから、自分の言ふことを唯々諾々ときいて居れば宜しいが、若し之に逆らうと直に怒る、自分の弟子などは家来の如くにして、講釈をする時大塩が来れば、シイ\/ツと警蹕の声を掛ける、さうすると弟子がピツタリ頭を下げて拝をして居る。其くらゐ傲慢な人でございましたと云ふのは、大阪には士が少ないから、与力は賎しい役だけれども、所謂鳥なき里の蝙蝠で、市中の訴訟などを捌いて居たから、大層勢力があつて、弟子などを取扱ふのも家来のやうであつたが、学問も何もあるのではないと云ふことは、洗心洞箚記を見ても知ることが出来る、それだから小竹などに馬鹿にされたのです。
従吾軒は洗心洞箚記の旨趣を了解せしや否や疑はし、小説を以て汚されたる頭脳を以て道義の書を手にするも、其旨趣の存する所を曉得すること難しとなす彼れ自ら其果して然ることを表白せり、
俗諺に云く、「猫に小判」と、此れ之を謂ふなり、
又小竹の如きは本と翩々たる文人のみ之れを以て中斎に比するすら、已に牛麒鶏鳳を同一視するの感なしとせず、
然るに彼れを以て此れに優れりとするが如きは真に菽麦を弁せざるものと謂ふべきなり、