Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.12.15

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「大 塩 中 斎」 その23

井上哲次郎 (1855−1944)

『日本陽明学派之哲学』冨山房 1900より
(底本 1908刊 第6版)



改行を適宜加えています。

第三篇 大塩中斎及び中斎学派
第一章 大塩中斎
第三 学 風
   第三 致良知の説


中斎が帰太虚を説くは即ち致良知を説く者なり、

太虚と良知とは、畢竟一物の異名に過ぎざればなり、然れども太虚は心境の澄徹して些の陰翳をも留めざる状態にして、良知は其中善悪を識別する自然の霊明あるを指して之れを言ふなり、良知は各自先天的に之れを有して生れ来たれり、是ち天地の徳の各自方寸の中に宿れるなり、然れども邪念ありて方寸の虚を塞がば、良知の光之れが為めに明かならず、若し邪念を打ち払へば、良知の光自ら明かにして、善悪正邪、其当を得ずといふことなし、此の如くなれば、聖賢なり、君子なり、弟子の質疑に答ふる書に此意を述べて云く、

是れ即ち良知をして其官能を全うせしめば、己れを律するの【覇】柄、已に 手中にあるを説くものなり、中斎は又良知に種々なる名称を付せり、或は之れを無極の真といひ、或は之れを心の精神といひ、又之れを神明といへり、

彦藩の宇津木共甫に答へて心理を論ずる書に、周子の所謂無極の真を論じて云く、

又朱子の如く心と理とを分ちて二となすの謬見たるを論じ、更に断案を下だして云く、

無極の真といふは即ち世界の実在なり、良知を以て世界の実在とし、此の如き実在は我方寸の中にあるものとせり、是故に婆羅門教の「ブラフマン」に於けるが如く、我即ち世界の実在にして、世界の実在は即ち我れなり、中斎が「人心天の太虚と一般にして二様なし」といひ、又「身外の虚は即ち吾心の本体なり」といふが如き、皆此意を述ぶるものなり、中斎此の如き見解を有するが故に良知を以て啻に道徳の由りて出づる所とするのみならず、又天地万物を生ずるものとせり、由比計義に答ふる書に云く、

良知が仁義礼智を生ずるここは理会すべきも、天地万物を生ずること井上は理会すべからざるが如し、然れども中斎は良知を以て世界の実在とせり、世界の実在は個人に於ける良知の如く、世界の精神なり、即ち周子の所謂無極の真なり、是故に良知を以て天地万物を生ずるものとせり、

松浦誠之の問に答ふる書に曰く

中斎は此の如く経書は良知の生ずる所にして之れを学ぶは唯々我良知を致す所以なりとせり、彼れ又良知と他の知識とを区別して之れを説けり、郡山藩臣藤川晴貞に答ふる書に云く、

中斎は知覚聞見情識意見を名づけて四知と称し、是当四知の良知に害あることを痛論し、終に講学の正路を示して曰く

中斎は又良知を以て天理となし、仮令ひ先天の天理を全うするも、後天の人欲を失ふを要せざる所以を論じて云く、

此れに由りて之れを観れば、中斎は徹上徹下、良知を以て一貫せば、後天の人欲あるも、不可なしとするものなり、斯る場合にありては人欲も自ら其正に帰すベければなり、中斎が説の仏経に酷似せるは、論を俟たざるも、亦決して之れと混同すべからざるものあるを知るべきなり、

中斎は又良知を以て鬼神とせり、曾て子弟「鬼神泣壮烈」の義を問ひしに之れに答へて「良知即ち鬼神何ぞ別に鬼神あらんや」といひ、又曾て司馬温公の「事神」の論を評して「夫れ心の神は他にあらず、太虚一団霊気の人の方寸に入るもの、孟子の所謂良知なり」といへり、


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