Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.12.21

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「大 塩 中 斎」 その24

井上哲次郎 (1855−1944)

『日本陽明学派之哲学』冨山房 1900より
(底本 1908刊 第6版)



改行を適宜加えています。

第三篇 大塩中斎及び中斎学派
第一章 大塩中斎
第三 学 風
 第四 理気合一の説

中斎は陽明の学に本づき、理気合一の説を主張せり、朱子は心に理とを 以て別物とせり、故に我心を明かにすれば、我心即ち理なりと説くこと 能はず、是を以て其修徳の工夫未だ適初ならざるものあり、是を以て中 斎は乃ち理気の合一を説いて、短刀直入、聖賢の域に達すべきことを言 ヘり、箚記の上に論じて云く、

又箚記の下に云く、

蓋し各自は理と気とを合一して之れを其身に有せざるはなし、然れども唯々其気あるを知りて理あるを知らざれば、道の本体に帰すること能はず、唯,其理あるを知りて気あるを知らざれば、其意を断行すべき勇気に乏しきの弊あり、是故に中斎は理と気とを体認して実際上之れを合一するの要を論せり、箚気の上に云く、

中斎が学にありては、理は即ち太虚なり、理を体認すれば其人即ち太虚にして凡そ世界に存するもの、其心中に帰せざるはなし、宇津木共甫に答ふる書に云く、

中斎が理気合一の説を立つるは畢竟説いて是広大無辺の境界に至ら んが為なり、若し心と理とを分別するときは、此直載易簡の工夫をな すこと能はざるなり


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