Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.1.12

玄関へ

大塩の乱関係論文集目次


「大 塩 中 斎」 その25

井上哲次郎 (1855−1944)

『日本陽明学派之哲学』冨山房 1900より
(底本 1908刊 第6版)



改行を適宜加えています。

第三篇 大塩中斎及び中斎学派
第一章 大塩中斎
第三 学 風
 第五 気質変化の説

中斎の学によれば、常人方寸の虚も聖人方寸の虚も同一の虚にして何等の異なる所もなし、即ち衆生皆佛性を具するの意なり、此の如くなれば萬人同性の説にて、何人も聖人とならんと欲すれば、なり得べき性質を有するなり、換言すれば人皆良知を有す、即ち知るべし、人性本と善ならざるなきを、中斎此意を述べて曰く、

又曰く、

人性本と此の如く善なりと雖も、唯,人に躯殻あり、是故に気質あり、是を以て私欲を生ずるを免れず、換言すれば、私欲は気質あるが為めに起るなり、然るに中斎は気質を以て変化し得べきものとせり、シヨツペンハウエル氏の如く変化し得べからざるものとせざるなり、其言に云く、

気質は一定不変のものにあらずして、能く変化すベきものなり、能く変化すべきが故に、君子となり、小人となるもの、其人の所作如何に存するなり、中斎曰く、

此れに由りて之れを觀れば、中斎は人は根底より改造し得べしとするものなり、若し此事なければ教育は其効力甚だ少きものとなる、何んとなれば、不善者と化して善者とならしむること能はざればなり、殊に感化院の如きいかんして其功を奏するを得ん、人々の特性は容易に改変すべからざるものなるは事実なり、然れども不善者が一変して善者となること之れなしとせず、則ち龍樹の如き、アウグスチヌスの如き、ジヨン、ボニアンの如き,ハマンの如き、皆然らざるなし、果して然らば気質変化の説、亦教育上に稗補する所なしとせざるなり


井上哲次郎「大塩中斎」その24その26
「大塩中斎及び中斎学派」目次
『日本陽明学派之哲学』目次

大塩の乱関係論文集目次

玄関へ