中斎の学によれば、常人方寸の虚も聖人方寸の虚も同一の虚にして何等の異なる所もなし、即ち衆生皆佛性を具するの意なり、此の如くなれば萬人同性の説にて、何人も聖人とならんと欲すれば、なり得べき性質を有するなり、換言すれば人皆良知を有す、即ち知るべし、人性本と善ならざるなきを、中斎此意を述べて曰く、
良知各,具備す、地中の水の如く、あらざるなし、之れを致すの難きこと逆水の舟の如し、惰なれば則ち退いて進まず、筍子之れを致すの難きを覩て遂に性悪といふ、孟子あらざるなきを見て、断じて性善といふ、夫れ之れを致すこと難しと雖も、然れどもあらざることなければ則ち本来の性、固より善なるのみ、故に性善の説萬世に冠たり、確乎として其れ易ふべからざるなり、
又曰く、
水性本と寒し、火其下にあれば、則ち沸々然化して湯となり了はる、其時に当りて、水ありと雖も、寒は絶えてなきなり、人性本と善なり、物其外に誘はるれば則ち【長】々然化して悪となり了はる、其時に当りて人存すと雖も、善或はなきなり、然れども其火を去れば、則ち寒復た依然たり其物を拒げば、則ち善亦現存す、若し火を去ること早からざれば、則ち焦枯して水性と倶に滅す、物を拒むこと厳ならざれば、則ち壊乱して人性と倶に亡ぶ、是れ当然の理なり、
人性本と此の如く善なりと雖も、唯,人に躯殻あり、是故に気質あり、是を以て私欲を生ずるを免れず、換言すれば、私欲は気質あるが為めに起るなり、然るに中斎は気質を以て変化し得べきものとせり、シヨツペンハウエル氏の如く変化し得べからざるものとせざるなり、其言に云く、
方寸の虚は便ち是れ太虚の虚にして、太虚の虚は、便ち是れ方寸の虚なり本と二なし畢竟気質之れを牆壁するなり、故に人学んで気質を変化すれば、則ち聖人と同じきもの、宛然として遍布照耀し、包濔せざるなく、貫徹せざるなし、嗚呼気質を変化せずして学に従事するもの其学ぶ所、將た何事ぞ、陋といふべし、
気質は一定不変のものにあらずして、能く変化すベきものなり、能く変化すべきが故に、君子となり、小人となるもの、其人の所作如何に存するなり、中斎曰く、
君子の善に於けるや、必ず知行合一、小人の不善に於けるや、亦必ず知行合一、而して君子若し善を知りて行はざれば、小人に変ずるの機、小人若し不善を知りて行はざれば、則ち君子に化するの基、是を以て君子亦恃むに足らず、小人が亦鄙むべからざるなり、
此れに由りて之れを觀れば、中斎は人は根底より改造し得べしとするものなり、若し此事なければ教育は其効力甚だ少きものとなる、何んとなれば、不善者と化して善者とならしむること能はざればなり、殊に感化院の如きいかんして其功を奏するを得ん、人々の特性は容易に改変すべからざるものなるは事実なり、然れども不善者が一変して善者となること之れなしとせず、則ち龍樹の如き、アウグスチヌスの如き、ジヨン、ボニアンの如き,ハマンの如き、皆然らざるなし、果して然らば気質変化の説、亦教育上に稗補する所なしとせざるなり