Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.2.2

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「大 塩 中 斎」 その28

井上哲次郎 (1855−1944)

『日本陽明学派之哲学』冨山房 1900より
(底本 1908刊 第6版)



改行を適宜加えています。

第三篇 大塩中斎及び中斎学派
第一章 大塩中斎
第三 学 風
 第八 学問の目的の説

中斎にあリては、詞章記誦は学問の目的にあらず、学問は唯々我心を正うするを以て目的とすべきものなり、何故に我心を正うするを要するかなれば、是れ道徳の由りて立つ所なればなり、中斎は独り道徳を闡明するを以て学問唯一の職分なりと思惟せり、

箚記の上に云く

又箚記の下に云く、

若し学問によりて我心を正うするを得ば、良知是に於てか光を放ちて来たり、仁といひ愛といふもの、我方寸の中に萌ざゝずといふことなし
然れども東亜諸国の如く古来家族制 Patria Potesta の行はるゝ処にありては、先づ一家の中に於て家長に対して仁愛の情を表すること最も重大の事件たり、故に孝を以て第一となす、

学名学則の中に言へるあり、云く、

又藤川晴貞に答ふる書に云く、

此れに由りて之れを観れば、中斎は藤樹の如く孝を広義に解するものなり、彼れ此の如く我心を正うし、孝徳を全うするを学問の正鵠とするが故に、博く外界の万物を究明するの余裕を有せず、単刀直入、我精神上に向つて工夫を下だし来たる、之れを要するに、実践躬行を期するものなり、

箚記の下に云く、

是れ其意を述ぶるものなり、

箚記の二巻、徹頭徹尾、道義に関するの論にして絶えて閑文字なきもの、之れが為めなり、唯々私欲といふものありて学問を妨け、人をして薄志弱行ならしむ、故に学問に志さば、先づ私欲を打払はざるべからず、中斎乃ち之れを論じて云く、

仮令ひ私欲を打払ふも、若し学問の目的を誤りて、詞章記誦を事とせば、遂に邪路に陥らざるを得ず、

中斎乃ち博物の学の徒為なるを論じて云く、

此の如くなれば、動植物学を始めとし、凡そ外界の現象を攻究するの学科は悉々く無用とならん、古来儒致の通弊は実に自然科学を賤視するにあり、然れども陽明学派を以て最も甚しとなす、是れ矯正せざるべからざる所なり、

中斎が太虚の理さヘ了解すれば、自然科学を学修せざるも、其理は自ら明瞭なるに至るものとするは、荒誕無稽、取るに足らざるの説なり、然れども徒に識知の一方に馳せて、我心を正うするの要を思はざれば、学問の法を誤まらざるを必とし難し、

箚記の上に云く、

又云く、

寛政以後、世の学者、詩文に耽けらざれば、考証に流れ、道徳を以て自ら任ずるもの、寥々として暁天の星の如し、斯時に当りて中斎の如き痛快の言をなす、万緑叢中一点紅と請ふべきなり、中斎は唯々道徳を修めて、聖賢の域に躋らんと欲するのみ、是故に富貴利達は其志を奪ふに足らざるなり、

箚記の上に云く、

中斎己に此の如き志あるが故に、世の英雄豪傑と称するものの、道徳心より起らずして、情欲上より動くを罵倒して夢中の伎倆といひ、禽獣の為に踰ゆといへり、

箚記の上に云く、

又箚記の下に云く、

中斎が此言洵に適中せり、英雄豪傑の事業、爽快の感なきにあらざるも、道徳心より起らざる以上は、毫も称揚するに足らず、拿破列翁の如きも、畢竟制すべからざる大盗に過ぎず、道徳を以て自ら任ずるものより之れと見れば、何ぞ称揚するに足らんや.況や拿破列翁に及ばざるものに於てをや、


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