Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.10.20修正
2000.5.22

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大塩の乱関係論文集目次


「大 塩 中 斎」 その4

井上哲次郎 (1855−1944)

『日本陽明学派之哲学』冨山房 1900より
(底本 1908刊 第6版)



改行を適宜加えています。

第三篇 大塩中斎及び中斎学派
第一章 大塩中斎 
第一 事 蹟
 (4)

然れども茲に中斎に取りて甚だ不幸なること出来せり、

文政十三年の七月に至り、山城守齢已に七十に近く、劇職に耐へざるを以て、病と称して骸骨を乞へり、中斎の職卑賤なりと雖も、其山城守に対する関係は蕃山が芳烈公に於けるが如し、芳烈公の信任なかつせば、蕃山何れの処にか其満腹の経綸を施さん、山城守の信任なかつせば、中斎いかんして其驥足を伸ばすを得ん、

然るに今や山城守の辞職せんとす是を以て中斎復た其望なきを慮り、山城守の辞職の未だ允されざるに先ちて致任し養子挌之助をして其職を継がしめたり


時に中斎年三十有七、

「辞職の詩并序」あり云く、


石崎東国「大塩平八郎伝」 その43


井上哲次郎「大塩中斎」その3その5
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