Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.10.20修正
2000.6.21

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「大 塩 中 斎」 その5

井上哲次郎 (1855−1944)

『日本陽明学派之哲学』冨山房 1900より
(底本 1908刊 第6版)



改行を適宜加えています。

第三篇 大塩中斎及び中斎学派
第一章 大塩中斎 
第一 事 蹟
 (5)

是より中斎閑散の身となり、専ら学を講じ、書を著はし、併せて子弟を教授し、此歳の九月に至り、中斎尾張に赴き、其祖先の墓に謁し、宗家大塩氏に留まること、数十日、帰路龍田、高尾、栂尾の諸勝を捜りて帰れり、

此時頼山陽序を作りて中斎を送る、其文載せて箚記の附録にあり、

然れども其言忌憚多きを以て、前半は処々塗抹せられ、読者其要領を得ることを能はざるを憾む、余山田の足代弘訓の書類中に全文を得たり、因りて左 に之れを掲ぐ、云く

天保二年に於ては中斎屡々有志者の需めに応じ、市中近在に出でヽ講筵を開き、遂には尼崎及び大槻 *1 の芸士に招聘せられて出講するに至れり、

彼れが一僕を従へ、馬に跨りて尼崎街道を来徃するや、道路の人其儼然たる威貌を見て、大塩先生来たると云はざるはなし、


管理人註
*1 高槻のことか。


石崎東国『大塩平八郎伝』その44


井上哲次郎「大塩中斎」その4その6
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