天保三年の六月に至りて古本大学刮目七巻を脱稿して上木せり、是れを彼れが最初の著作となす、
然れども彼れ此書を「梱外不出之書」と名づけて、決して門人以外に示さゞりしといふ、
此歳の六月中斎、藤樹書院を訪へり、其事頗ぶる注意を惹くに足る故に、左に箚記中より抄録せん、
云く、
壬辰の夏六月、予れ閑逸無事を以て浪華を発し、伏水に至り、而して江州に赴き、湖に泛んで以て中江藤樹先生の遺跡を小川村に訪ふ、
小川村は江西の比良嶽の北にあり、先生は我邦姚江の開祖なり、其墓に謁し其容儀道徳を想像し、涙墜ちて臆を沾ほす、其書院存すと雖も、而も今先生の学を講するものなし、
其門人の苗裔医を業とするもの、乃ち之れを監守す、守の如く然り、予是に於て詩を賦す、詩に曰く
帰る時大溝港口に於て復た舟を買ひ、予従がふ所の門生及び家僮と四人のみ、更に同舟の人なし、
再び湖に泛んで南、坂本に向ひ、将に吾郷に返らんとす、而して大溝より坂本に至る迄、水程凡そ八里ばかり、纜を解き【糸肖】を結べば、既に未申の際にして、而して日晴れ浪静なり、柔風只颯々たるのみ、
小松近傍に至れば北風勃起し、湖を囲んで四山各聲を飛ばし狂瀾逆浪、或は百千怒馬の陣を衝くが如く、或は数仭の雪山前に崩るヽが如し、
他の舟船皆既に逃れて一も有るなし、其帆を張ること至低三尺強にして而して其怒馬に乗り、其雪山を踏み、以て直前勇徃箭馳の如きもの、只是れ吾が一舟のみ、忽ち鰐津に至る、
嘗て聞く鰐津平日風なき時と雖も、回淵藍染して盤渦谷の如くに転じ、巨口大鱗の遊泳出没する所、乃ち湖中の至険なり、而るを況や風波震激の時をや、篷を推して水面を見れば、則ち所謂地裂け天開くの勢をなす奇なるかな、颶風忽ち南北両面より吹いて而して軋る、故に帆腹表裏饑飽定まらず、
是を以て舟進んで而して又退き、退いて而して又進む、右に傾けば則ち左に昂り、左に傾けば則ち右に昂り、踊るが如く舞ふが如く、飛沫峻濺、篷に入り牀を侵し、実に至危の秋なり、
舟子呼んで曰く「他舟皆幾を知る故に之れを避く、某の如きは独り誤りて前知すること能はず、而して乃ち此に至る、吁、命なるかな、然りと雖も面目客に対するなきのみ」と、
吾れ其言意を察するに、共に魚腹に葬らるヽの患を免れざるに似たり、因りて却て舟子を慰喩して曰く、
「爾誤りて此に至るは命なり、
則ち吾輩の此に至るも亦命なり、倶に之れを如何ともするなし、只天に任せんのみ、何ぞ患ふるに足らんや」と、
門生家僮、既に悪酒に酔ふが如く、頭痛み、目眩み、其心覆溺を慮るものヽ如し、予と雖も実 に以て死せりとなす、故に憂悔危懽の念を起さヾるを得ず、
是時忽ち藤樹書院に於て作る所の「無人致此知」の句を憶ひ、心口相語りて曰く、
「此れ即ち其良知を致さヾるの人を責むるなり、而して我れ則ち憂悔危懼の念を起す、若し自から之れを責めざれば、則ち躬を持つこと薄うして而して人を責むること却て厚し、怨にあらざるなり、平生学ぶ所将た何んか在る」と、
直ちに良知を呼び起せば、則ち伊川先生の「存誠敬」の言、亦一時并せて起り来たる、因りて其飄動中に堅坐すること、乃ち伊川陽明二先生に対するが如し、
主一無適、我れの我れたるを忘る、何ぞ況や狂瀾逆浪をや、敢て心に挂けず、故に憂悔危懼の念は湯の雪に赴くが如く、立ろに消滅して痕なし、此れより凝然動かず、
而して飄風も亦自ら止み、柔風依然として舟を送り、終に坂本の西岸に着く、此れ豈に天にあらずや、時に夜既に二更なり、門生家僮皆回生の思をなし、以て互に恙なきを賀し、遂に坂本に宿す、
明早天晴る、天台山に登り、四明の最高を尽くして俯して東北を視れば、乃ち湖なり、疇昔経歴する所の至険、皆眼中に入る、
風浪静にして遠邇朗なり、実に一大円鏡なり、漁舟點々壓子の如く、帆檣数千、東去西来、平地よりも易し、危懼すべきものなきに似たり、
是に於て門生余に謂って曰く、
「昨の憂悔危懼抑々夢か亦天吾師を譴むるか」と、
余曰く
「否、夢にあらずして真境なり、天譴にあらずして我を金玉にするなり、何んとなれば其變に逢ふにあらざれば即ち焉ぞ真良知真誠敬を窺ひ得んや、
又焉ぞ真に伊川陽明両先生に対せんや、故に曰く、真境にして夢にあらざるなり、我れを金玉にして、天譴にあらざるなりと、
然らば即ち福にして禍にあらざるなり、賢輩亦徒に憂悔危懼を追思するとなくして可なり、身心に益なければなり、且つ賢輩盍ぞ夫の城邑を視ざるや、其れ亦杖履の底にあり、峰窩蟻垤の如きもの、富貴貧賎の同じく棲む所なり、
故に我れは即ち却て小魯の興を得たり、心広うして身裕かなり、是に於て又詩を賦す、
詩に曰く
胸中益々灑々然として一點の渣滓なきを覚ゆ、因りて謂へらく、吾輩纔に其境に即いて良知を呼び起し誠敬を存するも、猶ほ且つ至嶮を忘了す、
而して嶽に登り再び万死の処を顧みると雖も、心寒股栗せず、而して湛々悠々、却て心は聖人と同じきの興を得たり、而るを況や伊川先生の如きは昼夜を通し、語黙を徹し、誠敬を存す、
即ち堯舜の事と雖も、只是れ太虚中一點浮雲の日を過ぎるが如し、実見にして虚論にあらざること断じて知るべきなり云云、
此行や中斎、藤樹の遺跡を訪ひ深く感ずる所あり、加之帰路颶風に遭ふて反りて良知の旨意を体認するを得たり、
其後彼れは数回小川村に赴き、藤樹書院に村民を集めて良知の学を講ぜりといふ、