今まで元気よく遊んでゐた平八郎は、何を思ひ出したか急に、
『まて、俺は一寸家へ帰つて来る』
と云ひ出した。
ざうひやう
『ずるいぞ平八、お身は今迄雑兵になつた所ではないのか、用があるな
ら、大将になつた時帰れ』
運悪く雑兵に廻された友達は、口を尖らかして抗議を申立てた。
『雑兵で帰らうと大将で帰らうと俺の勝手だ。用があるから帰るんだ』
『どんな用か?』
『御仏器を洗ひに帰るのぢや』
『ブツ、お仏器を……』
うつは
『何が可笑しい、仏様へ御供物を差上る器を洗ふに何が可笑しい。無礼
ゆる
なことを云ふと容さんぞ』
平八郎は相手の子供を屹度睨んだ。さうして悠然と我が家の方へ帰つて
行つた。
『知またの噂』にはこんなことが記されてある。
平八郎は若年の時より先祖の祭をよく心がけて日に三度づゝ仏祖へ
給仕は勿論、仏器の洗ひものまで、下女下男にまかせず、自身にて
けたい
洗ひきよめ、少しも懈怠なく日頃これを勤め、諸人甚だ感じけるほ
どいよ/\仏事に他事なく月日を送りける。
中斎、大塩平八郎が、法華経の篤信家であつた事は、世間周知の事で、
どくじゆ
現に池上本門寺の宝物中には、常に読誦した法華経があつて、第八巻の奥
書には父から譲られて、父平八郎の筆跡で、
寛政四壬子従春至夏写終八十二日
奉唱御題目二万篇
書写功徳主 大塩平八郎 花押
と記されてある。
平八郎は陽明学を深く究めると同時、日蓮上人の御文章を愛読してゐた。
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